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終戦の年 1945(S20)年 [あんなこと、こんなこと]

あんなこと、こんなこと

 子供の頃を思い起こしながらこのブログ書いていると、いろいろなことが思い出されてきました。この「あんなこと、こんなこと」カテゴリーはブログのテーマとは直接関係ありませんが、<映像>として頭に焼き付けられた記憶を、戦中・戦後の自分自身の備忘録として、思いつくままに記してみたいと思います。人間形成の源が幼児期にあるとするなら、良くも悪くもこれらの記憶が内在されて今の自分が出来ていると思うのです。


1.終戦の年 1945(S20)年

●空襲の記憶
  私の記憶のはじまりは終戦の年の夏頃(満4歳)からのようです。毎日のように空襲があり、庭には非常用に、ありったけのバケツに水を張って並べてありました。家の脇は川なので、いざというときは川から汲むつもりだったと思います。空襲による火事をバケツリレーで消そうという時代ですから、それが精一杯の備えだったのでしょう。戸のガラスにはすべて飛び散らないように×印に紙が張られ、夜は電灯の笠に風呂敷を垂らして光が外に漏れないようしました。こうした連絡や確認は隣組や警防団というつながりによって徹底されていたようです。またよく停電し、ろうそくは必需品でした。一番参ったのは、真夏の暑いさなかに服を着たまま寝なければならないことでした。その上、不意の空襲警報でたびたび起こされました。

B-29.JPG
●ボーイングB29 爆撃機

 
ある日、空襲警報で爆音が聞こえ、家の中に立っている自分の目の前のガラス窓の真正面に機影が見えたかと思うと、ぐんぐん近づき、窓いっぱいになり、轟音とともに屋根を飛び越えていきました。飛行機の窓の形がよく見えました。機銃掃射をされなくて命拾いしました。
 
ある晩、大空襲になり、おばあちゃんも一緒に家族みんなで布団を頭上にかざして田んぼに逃げました。見晴るかす田んぼの先は南北に長く広がる長岡の市街地で、上空をB29が飛び交い、探照灯が機影を追って交叉していました。爆撃は街の端から端までにおよび、爆発と火災で次々と延焼し、炎が赤々と天を焦がしていました。まだ幼すぎたせいか、恐怖を感じた覚えはありません。 

●出征兵士を送る
  家の近くの私鉄の駅に出征兵士を送りに行った記憶もあります。町内総出で手に手に日の丸の旗を持ち、ホームでおとなたちが万歳三唱するのを見ていました。そのときの感情は希薄ですから、長兄を送ったのではないと思います。
 
また、提灯行列の記憶もおぼろげにあります。いつの戦勝祝いだったのでしょうか、家の前が県道で、誰かに手を引かれて出てみると、暗い提灯の明かりが一杯にあふれ、大勢の人が道幅一杯に、バンザイを叫びながら進んでいきました。

●匂いガラスとチャフがたからもの
  米軍の空襲があったりすると、兄たちと田んぼに出かけました。いろいろ珍しいものが落ちているのです。土に刺さっている六角形をした焼夷弾の薬きょうはお墓の花立てにしました。たまに緑色に輝く分厚いガラスの破片が落ちていて、板に強くこすり付けるととても甘い香りがして、みんなが欲しがりました。これはプラスチックの一種で、米軍機の風防ガラスだということは大人になってから分かったことでした。銀色をした金属性の細いテープの束が絡まったままあちこちに落ちていましたが、地上の信号を撹乱するチャフと呼ばれるものだったと思います。戦後、長兄が幻灯機を作って、ランプハウスの内側に貼り付けました。電球の反射率が高まって、それまで暗かった幻灯が明るく、見やすくなりました。

●最初のうまいものの記憶
 うちは農家でしたが、食べ物に関してはいずこも同じで、満足な食事はありませんでした。ある晩、母が鍋を作ってくれました。入っていたのはサツマイモのつるとナスのへた。油が入っていたようなので多少贅沢したのかもしれません。つるとへたは歯でしごいて筋を出します。これがなかなかの味で、おいしかったことを覚えています。これなんか、当時としては結構なご馳走だったのでは。今でもぜひ試してみたいと思っているのですが…。

 

●最初の甘いものの記憶
  終戦直前、どういう理由か分かりませんが、海軍大佐一家が我が家に同居するということになり、急きょ母屋の裏に2部屋ほど建て増しをしました。棟続きで、同い年の男の子がおりましたが、普段の交流はありませんでした。夏のある日、大佐の奥さんが、茶碗の底に濃い茶色のトロリとしたものを入れて持ってきてくださいました。手作りの芋あめだということでした。その甘かったこと。世の中にこんなにおいしいものがあるのかと驚くほどのうまさでした。母にそういうと、「お前はうまいものを知らないで育ったからね」と言いました。男の子とは終戦後文通をしましたが、鹿児島という遠さもあって次第に疎遠になりました。

●終戦の日の記憶はどこに
 ここまで書いて来て、はっと気が付きました。終戦の日の記憶が私にはまったくないのです。皇居前で大勢の人たちが土下座をしたという日、うちでも大きな動揺があったはずだと思いますが、昼寝でもしていたのでしょうか。同様に広島、長崎に落とされた原爆についても、当時の周囲の反応を全く記憶していないのです。終戦時4才と5ヶ月の子供にとって、聞いたとしても話の内容を理解できずに忘れ去り、眼で見た情景だけが映像のように記憶に残っているのではないでしょうか。

 秋頃でしょうか、海軍兵学校予科生だった長兄が帰還しました。大きな荷物の中身を期待していると、30センチもある白や茶色のねじり飴が出てきました。甘いだけではなくてとても微妙な味でした。それと乾パン。海軍で使っていたチクチクする白い毛布は私が掛けることになりました。ハンモックは寝間(ねま)と呼んでいた六畳間で、蚊帳を吊る紐を丈夫なものに代え、部屋を斜めに横断するように吊るして兄姉たちと遊びました。
 

ANAホテルズ
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furukaba

記憶を記録へ。
なつかしく思います。
そしてこれが事実だったのです。
by furukaba (2008-02-05 03:25) 

sig

furukabaさん、コメントありがとうございます。
それにしても、夜更かししすぎでは?
by sig (2008-02-05 09:40) 

カメキチ

戦時中の思い出全く同じですね。焼夷弾の燃えがら、においガラス、私にはもう一つあります、それは日本軍が打ち上げた高射砲の弾の破片です。鋭いのこぎりの歯のようなものの塊といってもよいでしょうか、切れ味の鋭い金属片でした。こんなものに直撃されたらひとたまりもありませんね。
後は防空壕のそばで拾った米軍の機関砲の弾です。これはまさに宝物でした。今思えば何か楽しい思い出のような気がします。
by カメキチ (2008-02-05 17:00) 

sig

カメキチさん、知らなかったお話をいろいろとありがとうございました。
このブログがみなさんの思い出にもつながるなら、とてもうれしいことです。
でもカメキチさん、まだまだ眼をいたわらなくちゃいけないのですから、こんな長文を打ってはだめですよ。
by sig (2008-02-05 17:59) 

kemm

4歳5ヶ月の頃のことをよく覚えていらっしゃるのに感心しました。
そして、これを記録する・・素晴らしいことだと思います。
これからも訪門させていただきます。よろしくお願いします。
by kemm (2008-02-05 22:09) 

sig

kemmさん、ご訪問ありがとうございました。
これが私の正体です。
これからもどうぞよろしくお願いします。
by sig (2008-02-06 11:08) 

パズー☆彡

こんにちは sigさん
私の父が昭和8年生まれ母は10年生まれです
幼い頃良く戦争の頃の話聞かされました。
このブログを読んで忘れてたその頃の記憶が
戻ってきました。
何だか懐かしい様な・・・。
そんな気持ちになりました。
また、遊びに来ますね!!
(^.^)/~~~
by パズー☆彡 (2008-02-07 16:02) 

sig

バズー☆ さん、ようこそ。ここでこんなこと書いてます。
本文のどこかに書きましたが、私は16年生まれですから、ご両親が経験されたことと、かなりズレがあるかもしれません。
この昔語りはまだまだ続きますので、時々お付き合いください。
ありがとうございました。
by sig (2008-02-07 23:56) 

sig

kontentenさん、niceありがとうございます。
by sig (2008-02-14 00:49) 

TAKA

こんばんは
親父から、昔の話をよく聞きました。戦闘機に追い回されたことや、
甘いものがなく、ズルチンやサッカリンを使っていたなど、平和な
時代には、考えられない話です。でも、聞かされたのではなく、
小さいながらに、親父の話を聞きたかったことを思い出しました。
また、拝見させていただきます。
by TAKA (2008-04-24 23:35) 

sig

TAKAさん、こんにちは。
そうそう、ズルチン、サッカリンを書き落としてましたね。
それがちゃんとお父さんからTAKAさんに伝えてあったのですね。
TAKAさんも、自分から昔のことを聞きたかったとは、いい話ですね。
どうぞ時々遊びに来てください。
by sig (2008-04-25 13:41) 

TAKA

こんばんは
ブログに訪問いただきコメントを頂いたうえ、たくさんのnice も
頂戴し、どうもありがとうございました。これからも、よろしく
お願いします。

親父は、私と弟が小さい頃、質問したり聞いたことを、真剣に
わかりやすい言葉で、答えてくれました。本当にありがたいこと
で、今でも感謝しています。
私が子供たちに、同じことができるのか?というと、答えは...?
になります。でもできるだけ、きちんと答えてあげようと思って
いますが、まだ、質問されたことはありません。
by TAKA (2008-04-25 21:26) 

sig

TAKAさん、その気持ち、よく分かります。
聞かれないことを話すと押し付けになりやすいんですよね。(笑)
TAKAさんは、お父さんと自分とのことをそのまま、お子さんに話したらいいと思いますよ。
by sig (2008-04-25 23:32) 

sig

ChinchikoPapaさん、わざわざおいで頂き、ありがとうございました。
by sig (2008-08-02 00:09) 

sig

No14Ruggermanさん、こんばんは。
こんなところまでご来館ありがとうございます。
by sig (2012-08-12 19:08) 

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