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女の子とは遊ばない。それが男の心意気。 [あんなこと、こんなこと]

あんなこと、こんなこと 

女の子とは遊ばない。それが男の心意気。  

4.小学生の頃 1948~1953(S23~ 28)-①





  昭和16年(1941)の早生まれが15年生まれといっしょに小学校に入学したのは、昭和23年(1948)の春。戦後初めての民主化教育の第1期生になります。
当時ひとりっ子は少なく、たいてい兄や姉がおりましたから、ハレの入学式といっても制服・制帽・ランドセルはほとんど全員がお下がり。みんながそうならそれが当たり前、という訳で、新制小学生はその呼び名とは裏腹に、中古姿から発足したのでした。

  大雪が解けるのは3月末。梅の時期を飛び越して新学期は桜の開花と共にやってきます。
 厚く凍った雪を割ると、その下に緑の雑草が芽吹いていることの驚き。夏は満天の星空。秋は夕焼け空を埋め尽くす赤トンボ。自然の中で感動を胸いっぱいに満たしながら、朝はニワトリの声で目覚め、昼は夕暮れまで遊び放題。もっぱら外で駆け回っていた子供たちの耳には、「鐘の鳴る丘」「港が見える丘」「異国の丘」「みかんの花咲く丘」となぜか<丘づくし>の歌に混じって、デビューしたての美空ひばりが歌う「悲しき口笛」「越後獅子の唄」「東京キッド」の大人びた歌声が、いつも近所のラジオから聞こえていました。 

●女が男を「君」で呼ぶ

小学校入学前からそうでしたが、男の子と女の子がいっしょに遊ぶということをしませんでした。当時はまだ封建的な空気が色濃く残っていて、村内や街中で並んで歩く男女は用事で出かけた夫婦しかおりません。そんな気風が小学生にも及んでいて、登校も男の子同士、女の子同士。でも、なわとびやゴム飛びは混じって遊んだ記憶があります。


  おかしいのはお互いの呼び方です。どちらも苗字で呼ぶのは改まり過ぎる感じなので名前を呼ぶのですが、男子が女子を呼ぶ時はたいてい名前を呼び捨て。女子が男子を呼ぶ時は「くん」なのです。「さん」付けで呼ぶのはどことなく恥ずかしいということなのでしょうが、お互いに相手を「さん付けなんかで呼べるか」という体面があったのでしょう。
それから何十年も経った同窓会でも、やはり男性の大方は女性の名前を呼び捨て。女性が男性に呼びかける時は「くん」。それで小学生時代の思い出がより深まったのでした。

●鉛筆で破け、消しゴムで破けるノート

 教科書2色刷りでしたが、問題はノート、鉛筆、消しゴムです。ノートの紙質はザラ紙で、鉛筆も消しゴムもよく練れていなくてザラザラ。ザラザラ同士で書いたり消したりするものですから、ノートは真っ黒になるし、こすりすぎれば穴があく始末。ついでに言うとクレヨンも蝋分が多くてほとんど色は付きませんでした。のちに色のりのいいクレパスが出て、クレヨンは敬遠されました。

 鉛筆削りは厚刃のかみそりか「肥後の守」という切り出しナイフ。「肥後の守」は当時の子供たちの必需品で、刃と鞘が一体になっていて真ん中から折って鞘に収めます。工作の時間だけでなく、山で遊ぶときなどになくてはならない「ひとつで何役」の優れものでした。今ならさしずめサバイバルグッズというところでしょう。


 学校には「購買部」という仕組みがあり、休み時間に上級生が学用品などを販売します。みんなが節約を考えていた時代ですから、鉛筆が短くなっても最後まで使えるアルミキャップなども売っていて、みんな2~3センチになるまで使っていました。購買部のわずかな利益の一部が学校の備品などに還元されていたのだと思います。

●弁当はなし。お昼は家に食べに帰る
 みんな歩いて通っているくらい小学校の学区は狭いので、お昼はいっせいに下校し、家で昼食です。たべたら学校に戻り、お天気なら外の運動場で遊びます。時間になると小使いさん(今は差別用語なのでしょうが当時のことですからそのまま書くしかありません)が鐘を鳴らして知らせますので、足洗い場でよく校庭の砂を落として教室に入ります。 

●おやつは、山に野に満てり
 学校から帰ると日が暮れるまでもっぱら外遊び。まずはおなかが空くので糧食の調達です。目指すは台所の梁に下げてある乾物を入れたカゴ。いつもは煮干(それもおとなの人差し指ほどの)が多いのですが、時にはスルメ、のしいか、干だら、身欠きニシン、くるま麩(越後特産のドーナツのような麩)、ソーセージなど手当たり次第ポッケに入れて出かけます。これらを遊びながら丸かじり。
庭にはグミ、スモモ、イチジク、カキ、ナツメ、ザクロ。田ではハスの実。山ではクリというように、周り中自然の恵みに満たされて、今みれば何とゴージャス。これが欠食児童と呼ばれて育った小学生のおやつなのです。終戦から13年を経た日本はもう「もはや戦後ではない」と意気込み始めた時代なのでした。

●ストーブ当番と冬のあそび
 冬はストーブ当番がありました。早く登校してストーブに火を入れ、教室を暖めておかなければなりません。大雪の年は一晩で4~50センチも積もります。誰も歩かない早朝は県道が雪で埋まっています。大人が一人歩いた靴の跡を大またでたどりながらの登校。靴跡を踏み外せば、長靴の中にどっと雪が入り込みます。長靴にはわらを丸めたものを敷いてあるのですが、雪が入ったら悲惨です。靴を脱いで出すしかありません。冬でも靴下を履いた覚えがないのは、長靴の中で雪が解けたら困るからでしょう。学校では冬でも裸足にズック靴。
 学校の裏の小屋に石炭が貯蔵されていて、石炭バケツに山盛り一杯が自分の教室の1日分です。教室のストーブはだるまストーブで、新聞紙と杉の葉にマッチで点火したあと、少しずつ石炭をくべていきます。うちわでよくあおがないと石炭にはなかなか火が付きません。教室が暖まる前にみんなが登校してきます。
長岡は雪は多いのですが、氷が張る場所が少ないので冬の遊びの主流はスキーです。田んぼは一面雪の原でツアースキーに最適。山に入ればどこでもクリスチャニアができるスキー場です。

2月に入ると「凍み渡り(しみわたり)」ができます。午前中なら雪の表面が凍結していて、どこまでも歩いて行けるのです。ただ、帰りが遅れると靴が雪に埋まって帰れなくなるので要注意でした。また、山には杉が多く、春先にはスギ花粉をいっぱいに付けますが、その幹を思いっ切り揺さぶっては、頭から全身まっ黄色になって遊びました。花粉症などという症状も言葉もまだ生まれていなかったのです。

 

●校舎の内外は東京都府中市郷土の森の「尋常高等小学校」で撮影したもの。

上の雪の風景は1963年1月、長岡帰省の際撮影の8ミリ映画より。

 
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furukaba

ホント! ホント!と頷いています。
男女共学になった時のあの嬉しさ!
でもお姉さん(上級生)が好きで・・・?
by furukaba (2008-02-22 11:11) 

sig

あっ、そうか。初めて男女共学になったんだ。肝心なこと忘れてた。
だから、お互いに不慣れだったんでしょうね。
でも、furukabaさんには、いい思い出がありそうですね。
by sig (2008-02-22 12:43) 

カメキチ

私の時代には男女共学はありませんでした。男女7歳にして席を同じゅうすること無かれでした。ただ昭和18年に皆疎開などして男女の人数のバランスが崩れ、初めて6年生に男女組が一クラスだけ誕生しました。私は幸運?にも逃れましたが、男女組に入った男子たちは、他ののクラスの男子たちから、「やーいやーい男女組」とはやし立てられたものです。今思えばやっかみ半分だったのでしょうね。
アルミの鉛筆サックで私たちはロケット遊びをしていました。アルミサックの中にセルロイドの下敷きを細かく刻み、それをサックの中に詰め込み口を半分につぶして閉じます。それを針金で発射台を作りそこにサックを乗せ,下からろうそくの火であぶります。すると中のセルロイドが熱で溶け、気化し一気に閉じた口から噴出してサックは勢いよく飛び出します
難点はどの方向に飛ぶか分からなかったことです。
by カメキチ (2008-02-23 10:32) 

sig

カメキチさん、貴重な体験談をありがとうございます。
鉛筆サックのロケットは、もうカメキチさんの頃からあったのですね。
危ないからと止められたせいか、自分は経験はないので、詳述していただきありがとうございました。
by sig (2008-02-23 16:34) 

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