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ラビット、ミゼット、スバルにマツダのクーペ [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.jpg  あんなこと、こんなこと―29

ラビット、ミゼット、スバルにマツダのクーペ

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ラビットスクーター 3.JPG
●1959年頃のラビットスクーター 軽自動車免許の試験はこれで行われました。

  何年経とうが思い出したくないこと書きたくないことがあります。これまで就職したばかりの頃の話を意識的に跳ばしてきたのですが、昭和のエポックの一つとして「車」をパスする訳にはいきませんので、話は前後しますが、マイカー時代のさきがけとなった「軽自動車」についてだけ書いておこうと思います。


●でも、やはりその前提として書かなくちゃならないかな…
   1959S34)年。この年は皇太子と美智子様ご成婚の年として記憶されていますが、私が川崎のデパートに就職した年でもあります。あとで岩戸景気と呼ばれる好景気の年で、ザ・ピーナッツの「可愛い花」や「南国土佐を後にして」「黄色いサクランボ」などの明るいリズムがヒットしていました。

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●当時、デパートの定番は屋上遊園地。店頭には街頭テレビが設置されました。

高卒で入社した川崎のデパートは、出てきてはじめて分かったのですが、一年中特売を看板にし、地元・長岡のデパートにさえあったエレベーター、エスカレーターがなく、入社案内に写真が載っていた「近代味あふれる中央階段」があるだけでした。

高卒社員は「寮生」と呼ばれ、5年間寮生活が義務付けられていました。(寮生は長髪禁止の規約もあり、高3でやっと伸ばした長髪を五分刈りにして入社したのでした)

 入社1年目は配送部所属。この部署は5名の社員運転手による小型トラックの自社便配達で、高卒新入社員は配達助手として配送車に同乗するのです。

3日ごとに売出しが変わる過激なスケジュール。「寮生」は早朝、一般社員が出社する前に店頭を水で洗い清めたあと、配送車で配達に出発。配達から帰るとたいていはすでに店は閉店していて、また店頭をホースで水洗い。デパートだから大勢の女の子に囲まれて、などというふらちな思惑は夢のまた夢。夜は大型トラックで届く翌日からの山のような売出し商品と前の売出し商品を全取替え。深夜までかかって苦力(クーリー)のように商品を担いで上げ下ろしするのが役目でした。

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●家具も自家配達。エレベーターのない高層アパートへの家具配達は大変でした。
 

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特売場は4階で、階段は忘れもしない64段。衣料品、布団などは担ぎやすいのですが、家具や家電のバーゲンでは大型で重量級の商品を大量に展示しなければなりません。重くて危険なガラスのショーケースや大きな呉服の見台を運び上げる時は2人か4人ですが、衣装ダンス、食器棚、ミシン(金属の足のついた奴)、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどは一人で1台ずつ、担いだり背中に背負って運び上げます。雑貨類のバーゲンでいちばん重いのは30キロの木箱入り粉石けん。階段を一段上がるごとに木枠の角が肩に食い込み、仕事を終えて銭湯に行くと、みんなの肩に何本もムチで打たれたような赤い跡がついていました。

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●残業がない夜は寮の娯楽室で「ローハイド('59)」「サンセット77('60)」
「アンタッチャブル('61)」を観る。「コンバット」(1962)の途中で退寮しました。

 この頃この会社はまだ徒弟制度の「丁稚奉公(でっちぼうこう)」の延長線上にあり、寮費はタダの代わりに毎月
100時間にも及ぶ残業手当はゼロ。食費は給料の半分の3000円を差し引かれて、使えるお金は月3000円。階段を1段ずつ踏みしめながら、その厳しい搾取に対する怒りと反撥心を起爆力として、体力以上の無理を続けていました。まだこういう労働形態がまかり通る時代だったのです。(中卒で就職した人たちの苦労を思えばがまんできました)
 

●軽自動車の試験は「ラビットスクーター」でOK

 そんな訳で「寮生」自身、配達ができることが求められ、会社のラビットスクーターの免許をとらなければなりませんでした。「ラビット」は富士重工業製で、その前身は戦時中の中島飛行機ですから技術には定評がありました。夜、残業の後などに川崎球場の入口前広場で交代で練習しました。
 真夏のある日、寮の裏通りで練習していて、八百屋さんの店先に突っ込んでスイカを割ってしまったことがありました。でも八百屋さんは怒らずに、「みんで食べな」と言ってくれたのでした。これぞ怪我の光明で、寮生のみんなに喜ばれました。

当時、軽自動車(コンパクトカーという呼び方はまだありません)の免許は「ラビット」による実技試験だけでした。これに受かると、なんと、4輪の「スバル360」にも乗れるのです。

「スバル360」は「ラビット」と同じ富士重工業製で、前年の1958年(S33)にセダンが発売になったばかりでした。小型ながらも4人乗りですから、家族ぐるみでドライブをどうぞ、という振れ込みです。価格は30万円以上で、おそらく大卒初任給の3年分。それでも自家用車のイメージがぐんと身近なものになりました。が、高卒寮生にはエベレスト山頂の花であることに変わりはありません。

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●「スバル360」(スバルのHPより拝借)

ただ、軽自動車免許の魅力は、大型自動二輪の免許がいっしょにもらえることでした。ハーレー・ダビッドソンにも乗れるのですから、バイク好きにはたまらないものでした。

試験は横浜・神奈川区の六角橋試験場でした。おぼつかない操縦で不安でしたが、1回でOKでした。私は会社のラビットで練習しましたが、この頃はどこの自動車教習所も大繁盛。試験場も、とにかくどんどん免許を与えて上げようという風潮でした。

免許が取れると早速、「ラビット」での配達です。後部座席に茶色いファイバー製の四角い箱をくくりつけて走りました。連日の残業疲れで第一京浜国道をもうろうとしながら運転していて、あやうくトラックに巻き込まれそうになった経験もあります。一人で配達に出る時に私が運転しながら口ずさむ歌は「黒い花びら」でした。
(水原弘さんもフランク永井さんも亡くなってしまいましたね)

●軽自動の小型トラック「ダイハツ・ミゼット」登場

ラビットスクーターで軽自動車の免許をとった頃、ダイハツが「ミゼット」(小人という意味)と名づけた360ccの小型トラックを発売しました。当時「オート三輪」と呼ぶ普通の三輪トラックがありましたが、「ミゼット」はそれをコンパクトにしたような三輪車で、会社も早速これを1台導入しました。私の頃のミゼットは屋根と荷台の幌がビニール製で、ハンドルは自転車のように左右に開いていました。

「ミゼット」は荷台が小さくて配達品をたくさん積めないため、せいぜい武蔵溝の口あたりまでが配達の限界でした。「ミゼット」はその後、屋根も付き、丸ハンドルに進化します。

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●私が乗っていた時はまだ両サイドのドアはついていなかったと記憶していますが…

●軽乗用車時代のライバル、「スバル」と「マツダ」

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●「マツダR360クーペ」(「マツダ」のHPより拝借)

 「スバル」に遅れること2年。1960( S35)年に東洋工業(現在のマツダ)が満を持して「マツダ・R360クーペ」で軽乗用車市場に参入しました。価格は30万円。2ドアでエンジンを後ろに搭載した変り種です。そのため4人乗りですが後部座席が狭く、後ろには子供しか乗れませんでした。ただ、ずんぐり型の「スバル」より、スタイルはフロントウィンドウの広いマツダの方が好きでした。けれども軽量な材質を使っているために見た目はきゃしゃで、その点では「スバル」は頑丈で頼れそうな気がしました。
 これらの軽自動車競争は、以後マイカー時代に向けて加速する車社会の到来を肌で感じた出来事でした。

●デパートでの関連記事、ご覧になりますか?
http://fcm.blog.so-net.ne.jp/archive/c45410997-1

★前回「青空にそびえ立つ大入道」の残像の答えは、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンです。ネガを見ただけでも分かりましたよね。

 
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カメキチ

おはようございます。懐かしい「ラビット」スクーターの話。
私も「ラビット」スクーターで軽自動車の免許を品川の鮫洲自動車試験場で取りました。昭和27年のことです。その後昭和32年に小型乗用車の免許を取りました。スバルR360を友人に借りて乗り回したこともあります。
主にバイクに乗っていましたが、本田ベンリー250CCは当時としてはすばらしいバイクで、冨士五湖や鎌倉、伊豆と遠乗り、今で言うツーリングを楽しんでいました。いまや懐かしい昔の話になりました。
by カメキチ (2008-12-16 10:12) 

チョコシナモン

sigさんこんにちは!懐かしい画像です(o^-')b
テレビを見たのは小学2年生頃だったように
記憶しています。


by チョコシナモン (2008-12-16 10:43) 

sig

カメキチさん、こんにちは。
じゃあ、この2年後に普通車の免許をお取りになったわけですね。この当時はバイクは全盛でしたね。ホンダのベンリー号とかスーパーカブとかはその代表機種でしたね。三菱ではロケットというのもありました。30年代はこれでドライブして楽しんでいたのでしたね。
スバル360はこの5年ほどあとに「中古を5万円でどう?」という話がありました。ものすごく欲しかったのですが、やはり買えませんでした。当時はマイカーを持つことが夢の時代でしたね。
by sig (2008-12-16 10:57) 

sig

shinさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
最近shinさんのブログを知りました。センスのよい内容とレイアウト、すばらしいですね。
このブログはテーマが「昭和」ですから、どうしても貧しく、ダサくなってしまいます。(笑)
by sig (2008-12-16 11:01) 

sig

チョコシナモンさん、こんにちは。
写真はアルバムを複写したりして使っています。懐かしいというお言葉、ありがとうございます。
チョコシナモンさんが小学2年生の頃、sigおじちゃんたちは日本をゆたかな国にするために、身を削ってがんばっていたんですよ。(笑)
by sig (2008-12-16 11:05) 

sig

ChinchikoPapaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-16 12:28) 

sig

yannさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-16 12:28) 

いぬ

sigさん こんばんは
sigさん世代と 僕の年代 同じ人間ですが
強さが違いますね 
強くなりたいと思うのですが 親父のようにはなれません
by いぬ (2008-12-16 17:55) 

sig

いぬさん、こんばんは。
お父さんもいぬさんにこんなお話しをされたでしょうか。
私たちの時代と今を比べると、情報量が圧倒的に少なかった。だから事前に就職先の内容を詳しく知るすべが無かった。
もう一つは選択肢が少なかった。商業高校でしたから、それだけで求人の幅が限られましたし、簡単に転職できるような社会状況ではなかったということですね。
ただ、こういったことは今でも言えるのでしょうし、要はやはり本人の自覚と行動力しかないのではないでしょうか。他の記事で書きましたが、私はここで10年間がんばることにしたあと、10年後に転職しました。それを自分で「失われた10年」と呼んでいます。(苦笑)


by sig (2008-12-16 19:00) 

furukaba

1959年頃は映画”三丁目の夕陽”を彷彿とさせる頃ですね。
よく働きました。そしてよく呑みました。
by furukaba (2008-12-16 20:24) 

puripuri

10年、辛い時を過ごされたのですね。当時、中卒は金の卵と言われましたが
今は死語になってしまったのでしょうか。
嫌な事、消したい事ほど頭の中に残っていて、PCのように削除してしまいたいです。
自営業でしたので、ミゼットがあったような気がします。母は、申請すれば
バイクの免許が取れると(この制度が最終の時)、それからバイクに乗っていましたよ。
by puripuri (2008-12-16 21:18) 

sig

furukabaさん、こんばんは。
そうですね。考えると、誰のために働いたんですかねえ。
経営者のためであって、それは社会のためでもあったんでしょうが、
労働者にはそれに見合う見返りはあったんでしょうか?
by sig (2008-12-16 22:18) 

sig

puripuriさん、こんばんは。
中卒は金の卵なら、高卒は銀の卵でもよさそうなものだったのですが、そうではなかったですね。
おっしゃるとおり、消したいことは消せませんね。これでも半分しか書いてないですから(笑)。
このころバイクに乗ってる女性はかっこ良かったですね。
puripuriさんもスカーフをたなびかせたりして颯爽と走ってたんでしょうねー。
by sig (2008-12-16 22:25) 

corrado

それにしても、給料の半分をさっ引かれ、
さらに、残業100時間とは・・・
大変で時代でしたね。
ちなみに、ラビットを造っていた群馬県太田市の工場は未だに使われているようで、呑竜工場と言われています。
何だか、恐ろしく古い建物で
サッシがパテ止めガラスだったり、
建物自体がヴィンテージ。
by corrado (2008-12-16 23:40) 

sig

corradoさん、こんばんは。
衣食住のうち食と住の面倒を見ているのだから、あとは3000円で1ヶ月やって行けるだろう、という考えでしょうね。次回に触れますが、疲れ果てて遊ぶ暇も無い状況では、金を使うことも無く、入社後の1年間は学生服で通し、1500円を貯金していたくらいでした。
こんな話は今では信じてもらえないかもしれませんね。それだけに、恥を忍んで書きました。この会社は当事としても特別遅れていたと思います。でも50年前、それが通ってしまうこういう時代があったのです。

呑竜とは名前も怖そうですね。まさに50年前の建物でしょうね。
by sig (2008-12-17 00:16) 

sig

調布のおじさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-17 19:13) 

corrado

そうそう、呑竜とはあの爆撃機ではなくて、近所の大光院(通称、呑竜さま)からとっているようです。
by corrado (2008-12-18 00:12) 

sig

corrdoさん、わざわざご説明、ありがとうございました。
「呑竜」が爆撃機の名前だなんて、私の方が教わってしまいました。そう言われれば、そんな飛行機があったかも、という程度ですが、corradoさんの世代で、アニメか何かでこの言葉が使われたのでしょうか。
by sig (2008-12-18 10:36) 

Qoo

うぉ~ 懐かしい車が沢山写ってるヽ(^。^)丿
スバル360は僕が免許を取った時でも話題になってましたからね~
マツダクーペ・・・ クーペという響きが懐かしい
オヤジは日野のコンテッサに乗ってました
by Qoo (2008-12-18 13:05) 

sig

Qooさん、こんにちは。
喜んでいただいてうれしいです。
普通車では日野コンテッサ、ルノーなども人気がありましたね。
このあとから湘南あたりでは図体の大きなアメ車をよく見かけるようになります。映画「アメリカン・グラフィティ」の時代で、テールを思い切りド派手に飾ったやつですね。日本も豊かになって、成金かお金持ちのぼんぼんだちが乗り回すようになったのでしょうね。

by sig (2008-12-18 15:34) 

OMOOMO

取材力と記憶力ただものではないですね。
サンセット77、懐かしいですね。
ミゼットはあんなにちゃちいものだったのですか。
画期的と思えたものでしたが・・
若き日のsigさんの、様子、暮らしがよくわかり
ました。





by OMOOMO (2008-12-18 18:59) 

甘党大王

「黄色いサクランボ♪」コノ時期なんですね!(^^)!
・・・おかしいな~(●^o^●)結構小学生の時に歌った覚えがあるんですが
コノ頃?まだ私は生まれていませ~ん。
祖父母と一緒に聞いた懐メロ?かな(#^.^#)?
by 甘党大王 (2008-12-18 21:49) 

みかっち

本当に...つい最近テレビで見た、オールウェイズの世界!
タイムスリップして、この頃のデパートを見てまわりたい!
若くて素敵なsigさんにも会える?(笑)
by みかっち (2008-12-18 22:50) 

sig

OMOOMOさん、こんばんは。
ありがとうございます。
記憶が元ですが、それだけではあいまいなところもあるので、時にはネットや書籍などで確認しながら書いています。でも、一番確実なのはボロボロになってもしまっておいた手元の資料です(家人が見たらゴミの山です)。
ミゼットは背が高い人だと頭がつかえたかも。小さい乗物でしたよ。
テレビでは「コンバット」シリーズでは時に名作がありましたし、面白かったのは「アンタッチャブル」でした。男の子ですからね。
by sig (2008-12-19 00:21) 

sig

甘党大王さん、こんばんは。
1959年に「黄色いサクランボ」を歌っていたのはスリー・グレイセスという3人のお嬢さんたちです。もしかして甘党大王さんのご幼少の頃に、リバイバルでもっと若いグループが歌ったりしたのでは?
(歌謡曲には弱い。演歌にはもっと弱いのです)笑
by sig (2008-12-19 00:29) 

sig

whitesoxさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-19 00:39) 

sig

takemoviesさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-19 00:40) 

sig

みかっちさん、こんばんは。
まんまオールウェイズでしょう。
でも、けっこう悲惨な青春でしたよ。ここだけの話、純情無垢だった少年(私)が、深夜、残業の後、道路に大の字に寝転がって、「さあ、殺せ!」なんて大声でわめいていました。怒りのやり場が無くて、すさんでいましたね。とてもみかっちさんには見せられない。家具配達の写真で奥の野球帽が私。
3年目(20歳)からようやく売り場に出させていただきまして、デパートマンらしくなったかな。その頃なら来ていただいても良かったかも…でも、みかっちさん、いくつ?(笑)
by sig (2008-12-19 01:00) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-19 01:01) 

corrado

え〜と、私は子供の頃に飛行機が大好きだったので、そんな名前も知っているんですね(^^)
そして、理系人間ですが歴史は好きです。私の世代なんて太平洋戦争が始まった年も知らなければ、終戦も知らなかったりします。
歴史は繰り返します。ですから、過去を知ることは大切なんですが・・。
by corrado (2008-12-19 23:53) 

sig

corradoさん、こんばんは。
corradoさんは、お仕事や趣味は、理系でも「科学」という幅広さでお好きなようですね。科学となれば技術に関する歴史もその範疇に入りますね。
私がこのブログで進めようとしているのは「映画、動画」の科学なんです。
それも、技術説明だけを書くのではなく、自分がそれにどう関わってきたのか。関わっているのか。関わっていこうとしているのか、を書いています。だからこれは自分史なんです。こんな変な「戦後昭和史」、読んでくださってうれしいです。
by sig (2008-12-20 00:32) 

sig

kontentenさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-20 12:37) 

sig

BlackTigerさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-20 12:37) 

sig

froroさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-20 22:18) 

sig

アヨアン・イゴカーさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-23 22:57) 

sig

ヨタ8改さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-24 10:17) 

sig

mitsuさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-25 23:25) 

sig

kemmさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-30 11:16) 

sig

leoさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-31 22:16) 

sig

Ja-Kou66さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-01-02 09:24) 

sig

kurakichiさん、こんにちは。
こちらまでご来館ありがとうございます。
by sig (2011-12-16 12:26) 

イサキン

今日は!大変な思いで働かれたこと、免許証を取りラビットを運転されたこと昭和の頃は
、今のような便利さはありませんでした!私は、子供の頃家にスバルがありましたしそれまでメグロの350が、ありましたし今レトロ
と言われアンティークと言われる物は、身近にありました。親戚に詳しいおじさんやなんと、叔母がアパートをやってましたけど俳優の山城新吾が、下宿していました!どうですか?
by イサキン (2012-07-27 06:16) 

sig

イサキンさん、こんにちは。
イサキンさんり周りには、当時の最新式が揃っていたようで、うらやましいです。山城新吾さん、好きな役者さんでした。世代的には彼の児童向け映画には触れていませんが。コメントありがとうございました。
by sig (2012-07-27 09:09) 

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