So-net無料ブログ作成
検索選択

ローンウルフは北をめざす/5 [映画企画・間宮林蔵]

P1030925b-3.jpg       短期連載 時代劇映画企画
          
「ローンウルフは北をめざす」 
               -Strait MAMIYA- 
                    ⑤
IMGP9292.JPG ●ナナカマド(だと思う)

●シノプシス(梗概/あらすじ)

6.カラフト探検レース
 松田伝十郎、間宮林蔵、バンナイ。三人を乗せた図合船は順風に送られてカラフト南端のシラヌシに到着。初めて見る異郷の山並みに、二人は決意を新らたにした。これから人跡まれなこの極寒の地に、往復500里もの難業が始まるのだ。
 
林蔵は、できれば最初から一人で踏査したかった。それに、伝十郎には何かしら息詰まる威圧感がある。自分に無い何かが林蔵の心の奥を打つのである。
 そこで林蔵は、東岸と西岸に別れて北上することを提案した。カラフトがもし島ならば北のどこかで出会うことになるはずである。伝十郎もその方が能率が上がると快諾し、林蔵は東岸を選んだ。
 こうして二人は別々に行動することとし、林蔵はシラヌシに用向きのある伝十郎より一足早くバンナイを伴って出発した。文化5年(1818)4月17日のことである。 

 幕府が本格的にカラフト調査に着手したのは天明5年(
1785)である。大石逸平は西岸をナヨロ(北緯48度弱)まで探検。寛政2年(1790)、松前藩士高橋清左衛門は西岸コタントル、東岸シレトコに至り、南端シラヌシに交易所、東岸クシュンコタンと西岸トンナイに番屋を設けた。
 更に寛政4年(1792)、第二次樺太調査で最上徳内は西岸クシュンナイ、東岸トウフツまでを踏査。
 寛政10年(1798)の第三次調査では中村小市郎、高橋次太夫が東岸ナエフツ、西岸ショウヤまでを踏査していた。この次太夫らが到達したショウヤ(北緯50度辺)が、これまでにいわゆる和人が足跡を印した最北地点だった。カラフトの北半分については全く知られていなかったのである。


林蔵樺太旅程図.JPG

東岸を北上する林蔵にとっては、次太夫らが到達したナエフツ(北緯47度30分辺)が事実上の出発点だった。西岸をとればショウヤ以北の北緯50度以上の業績しか得られない。しかし、東岸をとればもっと大きな功績となるのだ。林蔵が東岸を選んだ理由は実はそこにあった。 
 林蔵はアイヌのチップ(丸木舟)でアニワ湾を北上。クシュンコタンからは陸路をとった。原生林の中は熊笹を掻き分けて舟を引き、沼を渡り、川を遡って北上を急いだ。ナエフツに着いたのはシラヌシを出てから半月後の5月2日だった。


伝十郎が、シラヌシの番人万四郎の案内でアイヌを連れて出発したのはその当日だった。図合船で追い風に任せて西岸を一気に北上。2日後にトンナイ着。トンナイは和人の建てた漁場の番屋や倉庫などがあるアイヌ部落である。伝十郎はそこで更にアイヌ人を補充し、隊を整えて再び出発した。


カラフト南部.JPG

陸路をとる林蔵の前には、果てしない原生林が立ちふさかっていた。その上測量を続けながら進む旅である。ともすると焦りが顔面に現れ、バンナイに叱責の声が飛んだ。しかしバンナイは黙々と耐えていた。今に分かる時が来る。北辺の過酷な自然に耐えられるのはアイヌだけなのだ>。

  北上していた道がいつの問にか東行の道程に変わった。海岸線は大きく東南へ回り込み、どうやら大きな湾を形成しているようだった。
 やがて林蔵らは湾につながるタライカ湖畔に出た。そこにはアイヌの家並みとは異るひとつの部落があった。服装も違う。バンナイの通辞で、彼等はウィルタ人。この地はタライカと呼び、部落の入口にある女真文字の標柱は満州の役人が建てたもので、ウィルタの人たちはこの地で獲れるテンやキツネなどの毛皮を朝貢しているという。林蔵はすでに清国の勢力がここまで迫っていることに戦慄を覚えた。
 

女真文字.jpg●女真文字の例 Wikipedeaより

同じ頃伝十郎は、ナヨロで女真文字を見た。カラフトの南端シラヌシより67里のこの地の酋長ヤエンクルアイノは、清国よりハラダ(族長)に任命され、揚氏と中国風の名も授かっていた。
 海岸が賑わい、図合船に毛皮や干魚などが積荷されている。日和を待って満洲へ朝貢に行くのだという。ここで伝十郎は、更に北に満洲への通路があることを聞いた。
 
 当時ヨーロッパの世界図では、形も覚束ないカラフトの北に更に島が描かれ、サガリンと記されていた。わが国ではヨーロッパに先駆けて、カラフトとサガリンは同一であるらしいという考え方が江戸の高橋景保らによって固まっていたが、実際に確かめた者はもちろん無かった。<それを確認できるかもしれない>。伝十郎の心は踊った。

更に東行を続けた林蔵は、大洋に細長く突き出した北シレトコ岬の根元に到達した。そこはシャックコタンと呼ばれ、そこから北シレトコ岬までは延々と南下が続く。
 林蔵の使命はあくまでも実測である。羅針儀は忠敬から譲り受けた地平儀ただ一つ。あとは水準器、望遠鏡、天測計、振子時計、量程車、間縄で測量しながら陸路を行かねばならない。
 このまま東岸の測量を続けて行ったら完全に伝十郎に先を越されてしまう。林蔵は焦った。<シャックコタンから西岸のリョナイに出て伝十郎を追おう>。林蔵は決意した。しかし行く手には険しい山脈が聳え立っている。横断は不可能だ。<引き返すのだ。それしかない>。

IMGP9298 b.JPG
●蝦夷の原生林

   東岸と西岸の最も狭まった地点はマーヌイである、そこからなら西岸のナヨロまでは山越えしてわずか3、4里。しかし、20日近くも前に通ったところである。距離的にもこれまで踏査した半分、50里程を戻ることになるのだ。それは大変な決断だった。<測量は済んでいる。ひたすら歩けばそれほど日数はかかるまい>。そう自分を鼓舞し、林蔵はバンナイを叱咤しながら急がせた。


その頃伝十郎は、既に先人・高橋次太夫が踏査した北限を越え、シラヌシより123里のポロコタンに達していた。北緯50度を越えた樺太の中間地点である。
   すでに樺太アイヌの北限を過ぎ、ウィルタ人の土地である。ここから先は図体の大きい図合船では着船する場所が無いと聞き、チップを借り受けて新しい隊編成のもとに出発した。
 
 そこは既に享和2年(1802)、フランス人ラ・ぺルーズが探検し命名した韃靼(タタール/シベリア)海峡の奥である。穏やかな海上を、伝十郎の乗った舟は滑るように進んだ。


林蔵らがようやく西海岸のナヨロに辿り着いたのはその頃であった。ヤエンクルアイノの話では、伝十郎は既に半月も前にナヨロを発ったという。
  <伝十郎は今頃すでに、カラフトの最北端に至っているのではないか。あるいは山靼と満洲との地境を見極めてしまっているかも知れない。急がねば>。彼ははやる気持ちをやっとの思いで押さえながら北上を急いだ。


カラフト北部.JPG

一方伝十郎は、シラヌシから170里を経るノテトに到達した。ここは山靼風俗化したシルングル人、スメレングル人の混在地域である。彼らは伝十郎の異様な姿を見て警戒したが、沈着冷静で好感の持てる伝十郎の人間的魅力はほどなく彼等の警戒心を解き、しばらく滞在して林蔵を待つことに決めた伝十郎に、何くれとなく便宜を図ってくれるようになつた。

 
 部落で見かけた弁髪の一団は山靼人で、シラヌシヘ交易に行くらしい。松前で見かけた山靼織物や錦、飾り玉などは、こうして山靼からアイヌの手を経てもたらされたものに違いない。幕府の目の届かない蝦夷本島では、利に聡い商人らが一早くこれらの品やアイヌの産物に目を付け、抜荷(密貿易)がひんぱんに行われているという話はあながち噂ぱかりとは限らない、と伝十郎は思った。

  ノテ卜で10日ぱかり林蔵を待った伝十郎は、何ら消息が届かないので、わずか一泊の行程と聞き、北のラッ力ヘ足を延ぱした。
 海峡は狭く、向かいに望まれる山靼の大陸は、浅い海道を隔ててわずか4里ばかり。はるか北方にはマンゴー河(黒竜江/アムール川)と思われる広い河口も望見された。また、6日ばかり北航すればカラフトの最北端を回って東岸に出られると現地人から聞いた伝十郎はハタと膝を打った。<カラフト離島に相違なし。日清両国の地境を見極めたり>。
 林蔵がノテトに到着したのは、その翌日だった。


ノテト ラッカ-2.JPG
●世界地図上最後に残されたカラフト北西部(右)と、左は山靻(シベリア)

  ノテトに戻った伝十郎は、林蔵との無事再会を喜び合った。しかし、ラッカで望見した所感を伝十郎から聞くと、林蔵の心は曇った。<やはり伝十郎に先を越されたか。だが、眺めただけでは確認したことにはならない。カラフト離島発見の栄光への道はまだ残されている>。林蔵は「自分もぜひ見分したい」と申し出ると、伝十郎は同行を快諾した。

  ラッカで山靼の大陸を目の前にした林蔵は、心の動揺を抑えることができなかった。<伝十郎がここまで来たのなら、俺は山靼にまで渡ってやる>。
  伝十郎はそうした林蔵の心の内を読んでいた。<探検家として名誉を独り占めにはすまい。それが志を同じくする者への情だ>。そう考えた伝十郎は、「これより奥へ一里なりとも参れば林蔵の手柄なり。何とぞ参り申すべし」と勧めるのだった。
  しかし、林蔵といえどもさすがに上司を目の前で出し抜くことは出来なかった。林蔵は心を残しながら、伝十郎と共にソウヤヘの帰途に着いたのである。 時は6月26日、最北の地にもようやく遅くて短い春が訪れた頃であった。


  
100日にも及ぶ長旅を終えソウヤに着いた伝十郎は、早速報告のため松前に向かった。
林蔵はソウヤに留まった。彼の脳裏にはまだ見ぬ山靼の姿が渦巻いていた。
  <それにしても伝十郎は人物だ。かなわぬ>。彼のこれまでの行動を支えていた過剰なまでの自信が揺らぐのを覚えると、林蔵はいまいましそうに首を振り、急いでそれを打ち消した。
  <いやいや、師と仰ぐ人を乗り越えていくことこそが、師の恩に報いることではないか。必ず伝十郎以上の功績を立ててやる>。
  相変わらずの理屈で自分の考えを正当化しながらも、自分本位の一轍で通して来た林蔵の中に、何かが芽生えはじめていた。

 
 林蔵は早速江戸の景保に宛て、カラフトの略図を添えた書状を送ると同時に、松前奉行への報告書を作成した。それには別状で、カラフト再調査の申し出が添えられていた。
  許可はすぐに下りた。<俺の生き甲斐は冒険だ。俺は自分の選んだ道を生きるのだ。ありがたいことに、幕府が俺の夢の実現を手助けしてくれているではないか>。
  使命の重さと同時に林蔵は、窮屈に感じていた体制や組織の中で、前向きに生きようとしている自分を感じるのだった。同時に彼は、りきに対してこれまで何程のことをして上げただろうかと思い巡らしていた。遠く離れて初めて知るりきの優しさ、恋しさだった。

梗概・次回完結

Reebok ONLINE SHOP
nice!(51)  コメント(40)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 51

コメント 40

Pace

初めて聞く地名や民族の名前に、好奇心を
大いに刺激されました。
林蔵さんが”東岸を選んだ理由”が
あまりにも”らしく”て…ツッコみたくなりました(^^;
しかし、後半で心境の変化の兆しが見えてきましたね(’’)
次回、どのように完結するのかとっても楽しみです!
by Pace (2010-08-12 23:37) 

アヨアン・イゴカー

>女真文字の標柱は満州の役人が建てたもので
このようなところまで女真族が来ていたのですね。
女真族といえば、11世紀にも対馬や壱岐、博多にも上陸していますから、行動範囲は広かったのでしょうね。
by アヨアン・イゴカー (2010-08-13 00:22) 

sig

xml_xslさん
sanaさん
kurakichiさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-13 11:04) 

sig

Paseさん、こんにちは。
私はここで北方領土などという政治的なことを展開するつもりは全くないのですが、日本の北方の歴史とアイヌという固有の民族については知っておいていいのでは・・・と思います。
このあたりで林蔵の心境の変化を出しておかないと収拾が付かないのです。笑
by sig (2010-08-13 11:11) 

sig

アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
女真は10世紀末に台頭したツングース族の一派ということで、11世紀にすでに大和にも到達していたとはすごい民族ですね。
それからずっと下って17世紀にヌルハチが後金国を建国。それが後に清国になる訳ですね。
by sig (2010-08-13 11:23) 

sig

c_yuhkiさん
りぼんさん
Shin・Sionさん
dorobouhigeさん
kontentenさん
いっぷくさん
ヨタ8さん
お茶屋さん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。

by sig (2010-08-13 11:25) 

くまら

地図が有ってとても判りやすいですが
判らん地名が多すぎます・・・(汗)
by くまら (2010-08-13 16:29) 

sig

okin-02さん
キナコさん
miyokoさん
佐々木さん
           こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-13 19:06) 

sig

くまらさん、こんばんは。
もっと分かりやすい地図を作りたいのですが、Photoshopに慣れていないので・・・汗
難しい地名は、もともと日本人が住んでいなかったところですから、日本語ではないのですね。
by sig (2010-08-13 19:09) 

sig

漢さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-13 19:09) 

tomickey

間宮海峡ってたしか中学で学びましたがほとんど憶えていませんでした~
復習になりました(^_^)
by tomickey (2010-08-13 22:28) 

sig

ぼんぼちぼちぼちさん
yannさん
ChinchikoPapaさん
八犬伝さん
           こんばんは。ご来館ありがとうございます。


by sig (2010-08-13 23:38) 

corrado

う〜ん。凄い歴史ですね。
高校の日本の教科書も妙に詳しい記述があると思えば、こんな大切なことも抜けていたり・・・
こうしてみると、北方領土とは切り離せない話に必然的になると思うんです。ロシアとの領土問題は複雑なんですね。
by corrado (2010-08-14 00:36) 

りらら

林蔵のお供をしたバンナイは、我慢強いですね。
私だったら、ついていけません(;´Д`A ```
そういう意味ではりきもすごい・・・!
by りらら (2010-08-14 04:14) 

sig

tomickeyさん
Cageさん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-14 07:41) 

sig

corradoさん、こんにちは。
学校の授業では多分全体を教えなければならないから、このあたりに時間を割けないのでしょう。北方領土とアイヌ民族については政治的に難しい問題が絡んでいることもありそうです。だから当然、いろいろな考え方があります。場合によっては横槍が入ることもあるようです。だから変ないいがかりを付けられてもつまらないという理由で、これらに絡むドラマは作られにくいようです。ここでは間宮海峡に限定しているのでスケールは小さいのですが、ロシアとの歴史的な流れをを書いたら壮大な話になるでしょうね。司馬遼太郎が高田屋嘉平を描いた「菜の花の沖」などです。
いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-08-14 07:56) 

sig

りららさん、こんにちは。
このお話の登場人物はみんな実在しましたが、バンナイとワッカは勝手に作った人物です。他の人物の引き立て役ですね。だから性格的に対照的な人物設定です。りきという人は実在しましたが、私はこの女性に江戸期の女性の典型と思われる役を担わせています。内妻でありながらほとんど留守の林蔵によく尽くしたものだと思いますね。
by sig (2010-08-14 08:03) 

yakko

お早うございます。間宮林蔵という人の名誉欲には驚きました。その点
伝十郎さんは人物ですね〜 北方領土のことは無知でしたが、スゴい歴史があったんですね〜 そして今も続いているんですよね(-.-;)y-゜゜
by yakko (2010-08-14 09:39) 

mito_and_tanu

こんにちは。
林蔵が色々打算をめぐらして東岸を選んだのがおかしいし、東を回ったがために、岬に阻まれてしまい、途中から焦って引き返すあたりが、さらにおかしいですね。

by mito_and_tanu (2010-08-14 12:27) 

sig

ChinchikoPapaさんから下記のコメントを戴きました。

「ローンウルフは北をめざす」を、毎回楽しく拝見しています。1点だけ気になったところを・・・。「オロッコ」という民族呼称は、アイヌ民族側からの呼称(蔑称)であって、自らは「ウィルタ」民族と名のっています。ウィルタ民族とカラプトアイヌとの間は、明確に居住地域が分かれていたわけではなく、ウィルタ民族はカラプトだけでなく、北海道のアバシリ支庁地域に現在でも住まわれています。
by sig (2010-08-14 12:41) 

sig

ChinchikoPapaさん、コメントとありがとうございます。
「オロッコ」という言葉については私が調べた資料類が古くて、例えば現在「ネーティブ・アメリカン」と呼ぶようになった人たちを「アメリカインディアン」、「ロマ」と呼ぶようになった人たちを「ジプシー」と呼んでいた頃のものでした。「オロッコ」が同様の言葉ということで、早速「ウィルタ」に改めさせていただきました。アバシリ支庁地域にも居留地があったとのことですが、
ここでは北緯50度辺のポロコタンにウィルタの人たちが多数住んでいたということで、そのままにしてあります。ご教示、ありがとうございました。
by sig (2010-08-14 12:59) 

sig

yakkoさん、こんにちはー。
猛暑の季節にせめて北の大地の涼しいお話を・・・という私の気持ちです。笑
偉人と思っていた間宮林蔵を書きたいと思ってあれこれ調べたら、こんな人間像が私には見えてたんですねぇ。大成功を支えたのはこういう性格、気性だったからでは・・・つまり、現在のサラリーマン社会と同じ、組織の中で人を脅したりすかしたり、時によっては貶めたりして成功を掴んだ人物。私にとって実はいちばん嫌いなタイプの人間です。真実は分かりません。でも「勝てば官軍」。成功者という名誉を得れば偉人と言われるんです。あ、エジソンの話のところでも似たような見方をしましたね。私は相当偏屈ですね。あはは・・・

なお、伝十郎と林蔵の絡みでは伝十郎を奇麗事で描きましたが、多分事実は下記のような状態だったのでは・・・と思っています。

林「あなたは実際に見てきたんですか。地元の人の話を聞いたからといって、確認もしないで、どうしてカラフトが離島だと言い切れるんですか。私が居なければカラフト西岸、未踏の100マイルが適当な線で描かれてしまうところだった。そんな姿勢でお役人としての仕事を全うしたことになるんですか」
伝「それほどまでに言うのなら、すぐに出向いて自分の足で確かめて来るか。手柄が欲しいんだろう。上等だ。これより一歩でも先に踏み込めばお前の手柄だ。それほどまでに名声が欲しいのなら譲ってやる。さあ、行け!」
という位の激しい応酬があったのでは、と思っています。
by sig (2010-08-14 15:01) 

sig

mito_and_tanuさん、こんにちは。
史実を読んでいるうちに私の中に浮かび上がった林蔵の性格、人間像があります。それを元に、林蔵の行動を裏付ける考え方や感情を推理した結果が、ここに書いた物語になるわけですね。
自分に有利との判断で自分から言い出した東岸北上を、「北進困難」との理由でやめるというのは勝手な理屈で、私は伝十郎の進み具合が気になって、いても立ってもいられなくなったから、と推理したわけですね。
いろいろなところで彼の自分本位でセコイ考えが露呈しているように見えるので、「偉人ではなく普通の人間」、ただ、立身のためには彼なりの努力(人を押しのけてでも立身を)を惜しまなかった人物、という風に林蔵を見ています。いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-08-14 15:02) 

sig

うつマモルさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-14 15:03) 

sig

toshiroさん
toramanさん
PENGUINGさん
今造ROUINGTEAMさん
flutistさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-15 09:14) 

sig

rebeccaさん
やまさん
mwainfoさん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-15 15:22) 

sig

路渡カッパさん
Ja-Kou66さん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-17 09:38) 

sig

まろりーなさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-17 15:13) 

sig

hayama55さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-18 10:15) 

響

まるで外国を旅するような感じで
真の冒険家ですね。
未踏の地に一番に!って気持ちは
よくわかります。

by (2010-08-18 18:27) 

sig

響さん、こんばんは。
当時は現地の人たちが辿るけものみちのような細道があるかないかという海岸線だったと思います。
いつか響さんに、カワセミ号でカラフト沿岸を走破して欲しいものです。
by sig (2010-08-18 19:18) 

sig

SILENTさん
4geさん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-19 15:35) 

gyaro

レスを拝見して、なるほど!と思ってしまいました^^
伝十郎と林蔵の心の内の駆け引きみたいなやりとりが、
とても面白かったです☆
by gyaro (2010-08-21 23:04) 

sig

gyaroさん、こんばんは。
そうですね。yakkoさんのレスに書いたように、伝十郎と林蔵の人間性の対比がとても大事なポイントと見ています。
ただ、これをシリアスドラマとして作る他に、自己中・林蔵をうんとカリカチュウアライズした喜劇に仕立てる手法もありかな、と思っています。
いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-08-21 23:56) 

sig

NO14Ruggermanさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-23 23:51) 

sig

abikaさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-26 23:47) 

春urara

地図に関係なく、本当は未開の地なんて無くて、人類はどこにでも大移動していて、その世界を作り上げ営んでいたことも、改めて思い知ります。
それを国単位で吸収して行った時代という背景のある、日本と隣国の歴史の一部の話ですけど‥‥、
今現在の大問題に直結する場所の根本のストーリでもありますよね!
小中高大問わず、教科書より、まず、これを観てもらいたいですよ♪

by 春urara (2010-08-31 20:03) 

sig

春uraraさん、こんばんは。
仰るとおりですね。世界中のそれぞれの土地には、初めからそこで生活を営んでいた人たちが居たんですよね。
彼らには地図など必要ではなかった。
そこにいわゆる文明人が勝手に入り込んでいって彼等を追い払い、世界に向けて権利を主張するようになった。地図はそのためのものであるし、そのために地図は軍事と固く結びついて機密扱いとなっていたんですね。
現在GoogleMapによって、私たちは文字通り世界の路地の隅々まで探索できる時代になりました。本当にすごいことだと思います。
by sig (2010-08-31 21:17) 

sig

yutakamiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-10-03 13:59) 

sig

あら!みてたのねさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-11-23 13:37) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。