P1030925b-3.jpg  あんなこと、こんなこと―42
「仕事が遊び」「遊びが仕事」という会社
楽しくなければ仕事じゃない

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●左/「Tエージェンシー」が入居していた銀座8丁目のビル(現在) 

 フリーになって2年目の1976S51)年春。私は新橋駅に近い銀座8丁目の銀座通りに面したビルの4~5階にある「Tエージェンシー」という会社におりました。
身分はフリーなのですが、かわいがってもらって、他の仕事もしながら毎日のように出勤していました。ここは一風変わった不思議な雰囲気を持つ会社でした。

●業務内容は多角経営のはしりかも
 
社長のIさんは、日本の伝統的な男性ファッション誌「MENS CLUB」で鳴らした元モデルさん。副社長は黒沢映画や東宝の社長シリーズなどで常連だった映画俳優のTさんです。
  二人とも
40代で、経営の柱はモデルクラブ。それと二人が講師を勉めるタレント養成所なのですが、別室はデザインルームになっていて、私の他に同じフリーのデザイナーが数人いて、広告の仕事を担当していました。銀行、建設、食品、レジャーなどの仕事が多かったのですが、それほど忙しくもなく、暇な時は1
階の書店で本の立ち読みが出来るくらいでした。

●おあそびも明るく、ご清潔ムード
 
仕事が終わるとTさんが「行こうか」と声を掛けてくれます。新橋寄り高速道路下の銀座コリドー街にある「かえるたち」というシャンソンクラブ。もちろんTさんはそこの常連です。
 
カラオケの時代ではありません。専属ピアニストによる生伴奏です。歌手でもある美人ママとムービースターのシャンソン・デュエットが始まるのを楽しみに来ている客も多いのです。Tさんはエディット・ピアフの「ろくでなし」をよく歌っていました。
 
みんなでシャンソンを楽しく合唱したあとは、爽快な気分で帰ります。歌声喫茶のような、どこかにイデオロギーのしみが付いているような感じと違って、とても清潔なお楽しみタイムです。こういうムードは私好みです。お代はT
さんが持ってくれていたのか会社の払いなのか、私はいつもお客様。

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●銀座コリドー街(現在)

●社員じゃないのに家庭的な社員待遇
 
夏の「大銀座まつり」では、全国から民謡団体が集まります。銀座通りを1丁目から8丁目まで、見事な踊りのパレードが一直線に連なってそれは見事なものです。オフィスの窓の真下がちょうどパレードの終結地点でした。はるか向こうから近づいてくる行列を、ビール片手に余すところなく見下ろすことが出来て、壮観でした。

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●銀座通り 4丁目から8丁目&新橋方面を望む(現在) 
 
 
春先にはTさんの誘いで、東海汽船に乗って伊豆大島へツバキを見に行きました。夜に竹芝桟橋を発って、途中、夜明けまで停船して時間を調整し、早朝に波浮の港に着くようになっています。レンタカーで三原山に寄った後、真っ盛りのツバキのトンネルをくぐります。風はまだ寒かったのですが、アシタバ入りのラーメンの味は今でも覚えています。

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●伊豆大島旅行 波浮の港と三原山 1977(S52)当時

 
暮れになるとまた「行こうか」と声が掛かります。デパートでお正月のおせちを買うのです。すごい人込みの中で品選びです。「これも。ほらこれも」と、数の子だの、蒲鉾だの栗きんとんだの、昆布巻きだの、いろいろな種類を両手に持ちきれないほど乗っけてくれて、「じゃ、よいお正月を」と人込みの中に消えていきます。さすがスターは太っ腹だな。かっこいいなあ、と思いました。このボーナスは家族にはとても喜ばれました。

●仕事は楽しむものなんだ
 
銀座の「Tエージェンシー」に出入りしていた期間は2年位で短いのですが、ここでの仕事の記憶はほとんどなく、楽しく過ごしたことしか頭に残っていないのです。IさんやTさんがCMに出演する時に、エキストラとして駆り出された時も楽しい体験だったし、何をしていても深刻なところがなく、いつも遊んでいるような軽い感じなのです。「仕事を遊ぶ」「遊びが仕事」という世界がほんとにあるんだな、とその時感じました。
 
すると、仕事って、本来楽しいものなのではないだろうか。とすれば、楽しいことを仕事にしなくては…と思ったものでした。もちろん、前提として生活費をきちんと稼げての話ですが。

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●よく昼食に通った「銀座ライオン」(現在)

●業務拡大を期して、マリアナ諸島探訪へ
 こんな飾らない会社でしたが、社長のIさんは業務をもっと拡大しようと考えていたようです。19767年という時代は、それまでの高度経済成長が止まり、不景気風が吹いていました。大きな企業でも本業以外の副業に手を染め始めたりしていた頃でした。Iさんはどうやら海外にそれを求めたようです。ターゲットは日本にいちばん近いアメリカ、マリアナ諸島。

 この頃、グアムは新婚旅行の一番人気で、マリンスポーツなどレジャーの目的地としても人気が出始めていた頃でした。そこで北マリアナ連邦(米国自治領)では次の観光地として売り出すために1975S50)年にサイパン新空港を完成させたばかりでした。Iさんの目はその先の小さな島・ロタに照準を合わせていたようなのです。

 
新規事業は企業秘密ですから詳しい目的は聞きませんでしたが、1976S51)年9月、社長のIさんと商社関係らしき人たちに混じって、私は映像記録係として16ミリ映画カメラ・キャノンスクーピックを抱えて、島のリサーチに同行することになりました。
 
今から33
年前。観光地化する前のサイパン、ロタ。そこには手付かずの海と緑豊かな丘、そして戦後昭和につながる純朴な生活がありました。    つづく

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●目指すロタ島はグアムとテニアンの中間です。(ここには明示されていない)


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