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初めての8ミリ映画、50年前の上野・有楽町 [「動画」の自分史]

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初めての8ミリ映画、50年前の上野・有楽町

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●有楽町/「日本劇場」跡に立つ「有楽町マリオン」と朝日新聞社(右)
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●昭和30年代の数寄屋橋 左奥/日本劇場(円形の建物) 正面/朝日新聞社

●動画制作がはじめてアマチュアの手に
 前回「動画の自分史-13」で、高校3年生(1958/S33)の頃、単身上京した思い出を書きました。実はその際、東京の叔父さんに会うこと以外にもう一つの目的がありました。それは、上京した機会に8ミリ映画のテスト撮影をしてみようというものでした。

 8ミリ映画はご承知のように、現在のビデオ以前に一般家庭向けに開発された動画の方式で、8ミリ幅のフィルムに連続写真を記録するものです。アマチュア用小型映画の代表としてはこの他に16ミリがあり、戦前までは小型映画といえば16ミリを指していました。けれどもそれはまだごく限られた人たちのものでした。

 
日本では1937年(S12)にエルモ社が「シネエルモ」を発売して8ミリ映画に先鞭をつけましたが、戦後の混乱が落ち着いて生活に余裕が出来るに連れ、1950年代に入るとカメラメーカーや精密機器メーカーなどが揃って参入し、加速度的に人気が出てきました。この8ミリ映画の登場で、ようやく普通の人たちが個人で映画を撮れる(動画を作れる)時代が到来したわけです。

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●中学生の頃に欲しかった8ミリカメラ「シネエルモ8―AA」エルモ社製
  機体右のハンドルでゼンマイ(スプリング)を巻いて撮影しました。


●はじめはもっぱら8ミリカメラのカタログ集め
 
ところがカメラは高価で高嶺の花。おまけにフィルムもお金がかかる上、撮影しても現像に出さなければ見られませんし、観るためにはカメラよりも高価な映写機が不可欠です。いくらアマチュア映画が一般の手に届くレベルになったとはいえ、まだまだお金持ちしか楽しめないのが現実でした。
 とはいえ8ミリ映画時代の到来は、映画フリークとして育った私にとっては居ても立ってもいられないほど浮き足立つ気持ちでした。しかし高校生の身ではどうにもならず、ひたすら新聞、雑誌の記事や広告を切り抜いたり、学校帰りに長岡のカメラ屋さんに立ち寄ってカタログ集めをしたりしていました。

 最初にカタログで見た8ミリカメラは忘れもしないエルモ社の「シネエルモ」です。この丸っこくてかわいらしく、しかも頑丈なスタイルは、戦時中から戦後に掛けて主にニュースやドキュメンタリーの現場で活躍した米国ベルハウエル社製「アイモ」にそっくりでした。報道のプロ向け「アイモ」は16ミリで、レンズは広角、標準、望遠の3本のレンズを取り付けたターレットと呼ぶ回転盤を、カチッ、カチッと切り替えて使える仕様でしたが、8ミリの「シネエルモ」は標準レンズがカメラ本体に1本付いているだけでした。

 それでは不便ということで、各社はいっせいに標準と望遠レンズをセットした2本レンズターレットのムービーカメラの開発に取り組み、その先鞭を切ったのが瓜生精機の「シネマックス8」(1955/S30)でした。以後、レンズを2本つけた8ミリムービーカメラが続々と登場します。

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●「シネマックス8」瓜生精機製 左/1954年製 右/1955年製
 ほぼボディは同一のまま、標準・望遠の2本ターレット式に進化しました。


●カメラはゼンマイ仕掛け。フィルム1本でたった3分
 さて、私が8ミリ映画のテスト撮影を思い立つには、当然8ミリカメラがあることが前提になります。実は家の知り合いが物珍しさに吊られて購入したらしく、それを貸してもらえることになったからでした。機種は「ヤシカ8」の2本ターレットでした。このカメラに初めて購入したモノクロフィルムをセットして上京したわけです。当時すでにカラーフィルムもあったと思いますが、フィルムはとても高価でしたから、中学生の身では、節約して貯めた小遣いでモノクロフィルム1本を買うのがやっとでした。

IMGP5537.JPG●「ヤシカ8 T2」

 ところで当初の8ミリ映画は現在のビデオと違い、電池ではなくハンドルでゼンマイ(スプリング)を巻き上げ、その反発力を利用してカメラを回します。フィルム1本で撮影できる時間もたったの3分。ギリギリ3分20秒しかもちません。これで昼と夜景の両方を試し撮りする積りでした。
 1カットを5秒としても全部で30カットくらいしか撮れません。普通のスチルカメラもフィルム1本36枚撮りですから、それと同じ要領で撮影していけば、1本のフィルムで1日の情景を収めることは可能かも知れません。ただそれはいわゆる写真の場合で、映画は一つの情景をいくつものカットで構成します。また、動くものを追って撮影したりすれば、すぐに10秒位回ってしまいます。とにかく現在のビデオのように湯水のように回しっぱなしなどもっての他。節約しながら撮影することが絶対条件となります。

●撮影目的が低次元だったことを後悔
 
最初から計画して出掛けた訳ではなく、出たとこ勝負でどんな情景に出会うか分からないので失敗は許されません。1カット1カット、ピントを確かめて、手ブレしないようにしっかり構えて……と一生懸命で私が撮った初めての8ミリ映画、名づけて「1958年/東京寸景」はこの下にあります。
 あまり節約し過ぎてフィルムを1分も余らせてしまいました。何ということを。折角の上京機会だったのにこんなカットしか撮らずにもったいない。その時の私に「東京の中心<銀座の今>を記録しておくんだ」というしっかりとした狙いがあれば、たった3分とはいえ、もっとあちこちを撮り回ったと思います。けれどもその時は単純に「自分にも写せるのか。夜景はどの程度写るのか」というテストしか頭に無かったのが大いに悔やまれます。
 という訳で、格別貴重なものでも面白いものでもありませんが、どうぞ2分間だけお付き合いください。なお音声はありません。
 

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●「日劇」秋のおどり         ●日劇わき 戦後のモボ・モガ
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●写真左と右は同じ場所    駐留軍のお偉いさんたち
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●「日劇」前を行くボンネットバス
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●銀座4丁目交差点 周囲に高いビルはなく、誇らしげに電柱が立つ
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●銀座4丁目からマリオン(日劇)方面を望む
 手前の円筒形のビルが「森永広告塔」のビルがあったところ


【試作フィルム 画面説明】(無音)
・クレジットタイトル
 
  「○○映画社」のマークです。こんなフィルムですらマークは大切に考えていまし
  た。(爆)
・メインタイトル「試作フィルム」(1958/S33)
 
   帰宅後、部屋のガラスに白いポスターカラーで文字を書き、窓の外の景色を背景
  に撮りました。
・上野公園/西郷銅像~不忍池~懸垂式モノレール
  池之端にはビルが全く見当たりません。モノレールはまだ新しかったと思いま
  す。それにしても乗客か少ない。
・隅田川
 
   勝鬨橋のたもとから撮影。沿岸にピルが見当たりません。この船は汚わい船とい
  う話も。
・有楽町/そごう~日劇前、銀座方面を望む~日劇~ポポンSの広告塔~森永広告塔
  ~エンゼル前
 
  「
AVE.」という道路表示や制服姿の米国軍人など、「進駐軍」が「駐留軍」と名を
  変えた頃だったでしょうか。
・夜景/上野駅前
  帰り際にテスト撮影した夜景。デイライトフィルムでもネオンは良く撮れていま
  した。よ~く目を凝らすと画面上方に電光ニュースも流れています。
・エンドタイトル代わりのクレジットタイトル
 

※なお、この上京時の関連記事は下記にあります。よろしかったらどうぞ。
 
 http://fcm.blog.so-net.ne.jp/2008-08-28 
 「私が見たのは四丁目の夕日」


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