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「ディズニー長編アニメ」が始まるよ! [ディズニー長編アニメ再発見]

P1030925b-3.jpg   ディズニー長編アニメ再発見―1 
「白雪姫」を初めて観た人は、今、何歳? 
   ディズニーファンはすでに四世代
  
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●「白雪姫」の最初の公開時(1937)のポスターとメインタイトル

 
Hi!、こんにちは。ようやく始まったこのカテゴリー。ここでも「昭和館」館長兼キュレーター(学芸員)のsigが担当させていただきますよ。どうぞよろしく。

●60代だってれっきとしたディズニー現役世代
 
え、「その歳でディズニーですか?」なんて言わないでくださいよ。何を隠そう私たちの世代こそウォルト・ディズニー長編アニメーションをリアルタイムで観て育った正真正銘のディズニー世代なんですよ。うっそーって、じゃ、ミッキー・マウスは今年何歳ですか? ミッキー・マウスの生まれた年は1928(S3)年。ということは、なんと81歳! でしょー。
 
「プレーン・クレージー」という短編アニメーションが最初なんですが、ディズニーはたくさんの短編アニメーションで腕を磨くと、やがて長編アニメーションにチャレンジしますね。そこでこのブログでは、ディズニーの長編アニメーションに的を絞って展開して行こうと思っております。

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●左/モノクロ時代のミッキー・マウスのレア物?フィギュア
 右/ミッキー・マウス第1作「プレーン・クレージー(ミッキーの飛行機狂)」
   (1928)

●ディズニーの洗礼は戦争直後から
 
では、長編アニメーションの第一作はというと、1937(S12)年製作の「白雪姫」ですね。もう72年も前になります。ただ「白雪姫」は完成後まもなく大東亜戦争(古い! 太平洋戦争のことです)に突入したために、日本での初公開はなんと遅れること13年。戦後の1950(S25)年でした。ということは、この映画を11歳で観た人がいたとして、その人は今年70歳ということになります。

 つまり日本国民は、70年近くもディズニー映画の洗礼を受けてきたということになりますね。ですから60代のsig館長もディズニーで育ったということが納得できたと思います。ディズニーを楽しむのは決して若い人たちだけの特権ではないんですよ。

 ただ、TDL(東京ディズニーランド)だ、TDS(ディズニー・シー)だということになるととても若い人たちにはかないません。そこで「昭和館」という立場上、ここでは昭和の時代に私たちが観てきたディズニー長編映画、それを話題の中心にしてみようと考えました。

●ディズニーファン、4つの年代別階層
 
ところで、昭和は64年まで。1989年を以って終焉しています。それではちょっと中途半端ですから、ちょうど20世紀の終わりまで、つまり2000年までを視野に入れて進めてみようと思います。この区切りは年代的に分かりやすいと同時に、実はディズニー長編アニメを展望する上でも分かりやすいものなんですね。

 
なぜかといいますとディズニー長編アニメの公開をたどってみますと、いくつかの節目があることに気がつきます。それについてはおいおいお話しすることになりますが、ある時はアニメーターの世代交代による転換期であったり、ある時は新開発の技術による転換期であったり、またある時は経営上の転換期であったりします。それらは当然、受け手側である私たちにも大きな節目として影響を及ぼしております。それを考慮に入れて下記の通り定義してみました。  

■ディズニー第一世代  
  リアルタイムでディズニー長編アニメに接した世代
  現在70代~60歳くらいまで

 これは先ほどお話しましたディズニー長編アニメの作品にリアルタイムで接してきた世代です。「白雪姫」(1937)から「眠れる森の美女」(1959)あたりまで。現在70歳から60歳代の人たちがこれに当たります。当時数少ない娯楽の中で、ディズニー長編アニメを最高のエンタテインメントとして楽しんだ世代です。

眠れる森の美女.JPG
●70mmで撮影されたシネマスコープ映画「眠れる森の美女」(1959)

■ディズニー第二世代
 
リバイバル上映でディズニー長編アニメに接した世代
 
現在60歳~40歳くらいまで

 ご承知の通りディズニー長編アニメは何度も何度もリバイバル(繰り返し)公開されておりまして、その再公開で初めてディズニー長編アニメに接した世代です。「白雪姫」から順番に観てはいるのですが、その映画は数年前に製作されたものでした。
またその間当然新作にも接しており、「101匹わんちゃん」(
1961)あたりから「ロビン・フッド」(1973)あたりまでを新作として観た世代で、年齢的には現在60歳から40歳くらいの人たちです。

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●リバイバル公開の最終段階では、新旧長編2本立てという大盤振る舞いだった。

■ディズニー第三世代
 
新生ディズニーから長編アニメに接した世代
  
旧作はビデオテープやLD(レーザーディスク)で観た層
 現在40歳~20歳くらいまで 
 
         
 実はディズニー長編アニメにはトップ経営者が交代するという一大転換期がありまして、新しい方針の元にディズニー長編映画が製作されるようになったのですが、その時期に接することになった世代です。作品的には「リトル・マーメイド」(1989)から「ファンタジア2000」(1999)あたりまで。年齢的には現在40歳から20歳くらいまでの人たちです。
 この世代は1983年4月15日の東京ディズニーランドオープンを挟んでディズニーに接した世代ですから、もっともホットでチャキチャキのディズニーファンである人たちです。


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●「リトル・マーメイド」(1989)

■ディズニー第四世代 
 CG時代に入ってからディズニー長編アニメに接した世代
 旧作はテレビ放送やDVDで観た層
 現在20歳~それより年少

 21世紀を目前にすると、ディズニー社は全編CGアニメの優秀作を生み出していた「ピクサー社」と手を結んで、CGによる長編アニメを製作するようになります。もちろん従来の手法による長編アニメも製作されてきました。

 けれども21世紀は「昭和」とは外れてしまいますので、このブログで言及する範囲は「ファンタジア2000」までということにしたいと思います。

 さあ、あなたはディズニー何世代でしょうか。そして初めて観たディズニー長編アニメーションは何でしたか?


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●すっかりオールド・メディアばかりになってしまったコレクションの一部
 

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20世紀を彩ったディズニー長編アニメーション [ディズニー長編アニメ再発見]

P1030925b-3.jpg      ディズニー長編アニメ再発見―2
 「昭和」を彩ったディズニー長編アニメーション
まず、その全体を展望してみました。

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●ウォルト・ディズニーの記念すべきシネマスコープ第1作「わんわん物語」(1955)
 これだけのワイド画面をこれまでのTV放送は約半分にトリミングしていたのです。

 
 こんにちは。「昭和館」館長兼キュレーター(学芸員)のsigです。この「昭和館」では、ディズニー長編アニメーションを語るについて、昭和の範囲内でと考えましたが、区切りの良いところで2000(H12)年までに公開された作品までを展望しようと思っております。ではその間、どんな作品が公開されたのか。はじめにそれを展望してみることにしましょう。
  その際、時代の節目とディズニー社の変化を考慮に入れて、いくつかの「期」に分けて考えてみました。この分け方にはいろいろあると思いますが、最初にあくまでも私流の分け方であることをお断りしておきましょう。
 


●ディズニー長編アニメ、その変化の節目は…
 
「期」は、時代的には大きく「戦前・戦中・戦後」と「その後の昭和」に分かれます。またその間、映画が著しい発展を遂げたことによって、技術的にはスクリーンサイズにより「スタンダード期」と「ワイドスクリーン期」に分けることができます。ワイドスクリーン期に入ってからは、今日に至るまでずっとワイドスクリーンのままです、当然ながら。(笑)

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●上/スタンダードサイズのスクリーン アスペクト比(縦:横)が1:1.33
 下/ワイドスクリーンにはシネマスコープ(1:2.39)、ビスタビジョン(1:1.85)
   などがあります。この写真はシネマスコープ。


 
一方、ディズニー社の変化という点から見ると、これも大きく「Present Disney(ウォルト・ディズニー存命中)」と「Post Disney(それ以後)」に分けられます。そしてPostにおいては、当初社内において当然変革・再生が図られたことでしょうが、途中から経営形態が変わるという大きな「転換期」を迎えます。
 その時期はまた、CG(コンピュータ・グラフィックス)技術が発展・充実した時期と重なりました。それは当然、アニメーションの製作に影響を及ぼすことになります。この転換期はディズニー社における「CG元年」となり、それ以後、従来手法のアニメーションとCG100%アニメーションの二段構えの製作体制がとられることになったのでした。
 
これらの要素を統合して、ディズニー長編アニメーションを下記のように4期に分けて整理してみました。


●オムニバス作品は長編か?
 ところでディズニー長編アニメを展望しますと、下のリストで※印を付けた作品なんですが、1940年代、つまり戦時中は長編アニメを作れなかったために、全部の作品がオムニバス作品となっています。オムニバスの語源はご承知の通り19世紀の英国で走っていた蒸気式乗合自動車のことですが、それが転じて、短編をいくつか集めてひとつの作品にまとめ上げたものを言いますね。

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●左/1930年代、イギリスにおけるオムニバスの様子
●右/「ラテン・アメリカの旅」の中の「ブラジルへの旅」の1カット


 
例えば1942年の「ラテン・アメリカの旅」は、「ドナルドのアンデス旅行」「小さな郵便飛行機ペドロ」「グーフィー・ガウチョ」、そしてドナルドとオウムのキャリオカが歌と踊りで案内してくれる「ブラジルへの旅」の4本の短編で構成されています。
  このようなオムニバス形式の作品も、ディズニー側では長編アニメとして数えておりますが、このブログでは長編作品のリスト外と考えております。


●このブログではCG100%の作品には触れません
 
また1990年代に入ると、アニメの表現に積極的にCGが導入されるようになりました。そればかりではなく、1993(H5)年の「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」を皮切りに、100%CGの作品が毎年発表されるようになりました。下記リストで●印の作品がそうです。それがここでいう第4期の極めて大きな特徴なのですが、このCG100%の作品の公開は平成以降となります。従って、「昭和」を語るこのブログからは勝手ながら外させて頂きたいと思います。

 この他ディズニーの作品には、「南部の歌」(1946)をはじめ、大ヒットを収めた「メリー・ポピンズ」(1964)など、実写とアニメーションを合成した長編映画もいくつかあります。
  ・・・
ということで、これからディズニー長編アニメーションのお話をさせて頂きたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。 


20世紀におけるディズニー長編アニメーションリスト

※印はオムニバス形式の作品。ただし「ファンタジア」は別格
●印はCG100%の作品

◎Present Disney
■第1期  創草期(戦前・戦中・戦後/スタンダードスクリーン)
IMGP6531.JPG●「ピノキオ」

  1937(S12)「白雪姫」    (日本初公開1950)
  1940(S15)「ピノキオ」   (日本初公開1952)
※1940       「ファンタジア」 (日本初公開1955)
  1941       「ダンボ」    (日本初公開1954)
  1942       「バンビ」     (日本初公開1951) 
※1942       「ラテン・アメリカの旅」
※1944       「三人の騎士」
※1946       「メイク・マイン・ミュージック」
※1947       「こぐま物語/ミッキーと豆の木」
※1948       「メロディ・タイム」
※1949       「イカボードとトード氏」

■第2期 展開期
IMGP6533.JPG●「シンデレラ」

 
1950(S25) 
「シンデレラ」        (日本初公開1953)
 
1951       「不思議の国のアリス」  (日本初公開1953)
 
1953       「ピーター・パン」     (日本初公開1955)
 ------ 以降、ワイドスクリーン
  1955       「わんわん物語」     (日本初公開1956)
 
1959(S34)  「眠れる森の美女」     (日本初公開1960)
 
1961       「101匹わんちゃん大行進」(日本初公開1962)
 
1963       「王様の剣」
 
1967       「ジャングル・ブック」(ウォルト・ディズニー最後の作品)

◎ Post Disney 
■第3期 再生期
IMGP6536.JPG●「おしャれキャット」
 
 
1970(S45) 「おしゃれキャット」
 
1973      「ロビン・フッド」
※1977      「くまのプーさん」
 
1977      「ビアンカの大冒険」
 
1981(S56) 「きつねと猟犬」
 
1985      「コルドロン」
 
1986      「オリビアちゃんの大冒険」
 
1988       「オリバー ニューヨーク仔猫ものがたり」

■第4期 転換期(CG導入期)
IMGP6540-2.JPG●「リトル・マーメイド」

 
1989(S64/H元)「リトル・マーメイド」
 
1990      「ビアンカの大冒険~ゴールデン・イーグルを救え」
 
1991      「美女と野獣」
 
1992      「アラジン」
●1993      「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」
 
1994      「ライオン・キング」
 
1995      「ポカホンタス」
●1995      「トイ・ストーリー」
●1996      「ジャイアント・ピーチ」
 
1996      「ノートルダムの鐘」
 
1997      「ヘラクレス」
 
1998      「ムーラン」
●1998      「バグズ・ライフ」
 
1999      「ターザン」
●1999      「トイ・ストーリー2」
 
2000(H12)「ファンタジア/2000」
●2000      「ダイナソー」
 
2000      「ラマになった王様」

※印はオムニバス形式の作品。ただし「ファンタジア」は別格
●印はCG100%の作品

■第5期 拡大期 2010年代 
         3D(スリー・ディメンション/立体)

■第6期 発展期 2020年代 
         VR(バーチャル・リアリティ/仮想現実)
これは私の空想と願望です。


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ディズニーの歴史は映画の歴史-① [ディズニー長編アニメ再発見]

P1030925b-3.jpg    ディズニー長編アニメ再発見―3 

ディズニーの歴史は映画の歴史-①
モノクロからカラーへ。サイレントからトーキーへ
 
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●ローリング・トゥエンティ(1920年代)は無声映画の全盛期
 ジャズクラブでのジャズメンとフラッパーたち

 
こんにちは。「昭和館」館長兼キュレーター(学芸員)のsigです。前回は20世紀におけるウォルト・ディズニー長編アニメーションの作品群を、年代順にタイトルだけ展望してみましたが、それは、みなさんがディズニーに接したのは、ディズニー社の沿革のどのあたりかということを確認していただくためでした。

  その中で私が特に意識的に区分したのは画面の大きさでした。つまり、最初はスタンダード画面、のちに大型のワイドスクリーンに変化するというあたりです。これはディズニー映画の質的なものではなくて技術的なものです。

 そうなんです。私はディズニーのアニメーションに関して、作品の内容はもちろんのことですが、実は技術的な変化にとても興味を持っているんです。それは、私が子供の頃、「どうして写真が動くんだろう」という疑問を最初に抱いたときからのテーマなのです。そんな訳で今回は、ディズニー映画が映画技術の進化とどのような関連を持って製作されてきたかについてお話しようと思います。
 


●STAGE
-1 
モノクロ(白黒)/スタンダード(標準)/サイレント(無声)

 
映画の誕生はもうすぐ19世紀も終わろうとする1895年。私たちの世代は「映画の発明はエジソン」と教わりましたが、今日ではご承知のようにフランスのリュミエール兄弟によるものとされております。(詳細は「映画前史~映画誕生 タイムマシン創世記」で)

 
そしてウォルト・ディズニーが生まれたのは1901年。映画誕生から6年後でした。
 ということは、アメリカにおけるアニメの元祖といわれるウィンザー・マッケイの「恐竜ガーティ」(1914)も眼にしたはずですし、チャールズ・チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、ルドルフ・ヴァレンチノといった映画草創期のスターが活躍するお笑い映画や冒険活劇の洗礼を受けている訳です。ただ、その頃の映画というものはいわゆる「活動写真」。写真が動くだけで音声は付いていませんでした。

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●ウィンザー・マッケイ「恐竜ガーティ」1914 87秒 サイレント(無音)
 ウォルトは多分「自分ならもっと面白い作品を、もっと上手に作れるぞ」
 と思ったに違いない

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●上/左よりチャップリン、ピックフォード、フェアバンクス
   この3人+D・W・グリフィスがユナイテッド・アーチスツ社を興す 1919
 右/稀代のレディキラー、ルドルフ・ヴァレンティ~~~ノーーー

 ウォルトは初めは得意の絵の才能を生かして、今で言うコマーシャルの仕事をしていたようですから、おそらく最初から絵を使った映画…つまりアニメーションをやる積りだったのではないでしょうか。
 そのウォルトが「ラフォグラム社」を設立して本格的にアニメーションを作り始めたのは1922年。21歳の時でした。つまりウォルトは、物心ついた時からの映画人だったと言えると思います


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●「ラフォグラム社」のクレジットタイトル 1922

 
そして「ラフォグラム社」では驚いたことに、すでに動物たちのアニメーションと本物の女の子の実写を合成した「アリスの不思議の国」というシリーズを作ったりしているんですね。これが当たってウォルトはいよいよハリウッドにスタジオを持つことになります。このスタジオが現在の「ウォルト・ディズニー・カンパニー」の原点ということになります。

 また、続いて作った「しあわせウサギのオズワルド」シリーズも大当たりしました。ところが権利関係でトラブルが発生。ウォルトはオズワルドを手放して別のキャラクターを考えなければならなくなったというのは、知ってる人は知っている有名な話ですね。そうして生まれたのがミッキー・マウスだったというのですから。

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●左/「アリス・コメディ」                ●「しあわせうさぎのオズワルド」


●STAGE
-2 サイレントからトーキーへ
 
最初に作られたミッキー・マウス映画は「プレーン・クレージー」と「ギャロッピング・ガウチョ」の2作でした。この2作はもちろんモノクロ(白黒)/スタンダード(標準)/サイレント(無声)です。1928年のことでしたが、この年の秋、映画史上特筆すべき新技術が登場しました。それがトーキー映画でした。
 タイトルは「ジャズ・シンガー」。アル・ジョルスンの歌う部分だけが音声付きというパートトーキーでしたが、映画新時代の到来を告げるものでした。

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●「プレーン・クレージー」1928    ●「ギャロッピング・ガウチョ」1928
 この2作は後になって音声が付けられ、トーキー映画になった

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●左/初のトーキー映画とされる「ジャズ・シンガー」1928
●右/無声映画を変更してディズニーのトーキー第1作となる「蒸気船ウイリー」1928


 
その情報をいち早く入手したウォルトは、無声映画として製作中だったミッキー・マウス第3弾「蒸気船ウイリー」を、急きょトーキー映画に作り変えることを決断。それまでのサイレント映画づくりでは経験したことのない、音声とキャラクターの動きを同調させるという難しい問題を克服して、ウォルト・ディズニーの輝かしきトーキー第1作となりました。
 つまり、普通の劇映画と同時点でトーキー・アニメを実現したのです。この時に吹き込んだミッキー・マウスの声がウォルト・ディズニーその人によるものだということも有名な話ですね。こうして、それまで動きだけだったキャラクターが音楽に合わせて歌い、言葉を話すようになったのでした。


●STAGE
-3 モノクロからカラーへ
 
技術的に見た映画の次のステップはカラー化です。トーキーが実現すれば次はカラーしかない。それはウォルトが一番感じていたことでしょう。

  映画のカラー表現に対する研究はいろいろな形で進められていましたが、テクニカラー社が開発したオールカラーで初めて公開された長編劇映画は
1935年の「虚栄の市」でした。ところがカラー映画においてはなんと、ディズニーの方がそれより3年も先行していたのです。

IMGP6565.JPG
●劇映画で世界初のカラー作品「虚栄の市」1935
 ウォルトが先手を打ったために、ディズニーの「花と木」より3年後の公開となった

 
1930年に入るとテクニカラー社が本格的なカラー映画を作る技術をあと2年ほどで完成するらしいと聞いたウォルトは、それを先ず自分のアニメーションで試すようにテクニカラー社を説得。ミッキー・マウスシリーズと並行させて製作していた「シリー・シンフォニー・シリーズ」で使ってみようと開発を進めました。

  これも初めはモノクロで作る予定で、背景などはすでにモノトーンで書かれていたのだそうですが、色彩画に書き直したり、セルに書く絵の具が照明でひび割れたりしないように研究するなど、苦心を重ねたそうです。こうして生まれた作品が「花と木」。1932年のことでした。


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●世界初のカラー映画 ディズニー作品「花と木」1932

  これはメンデルスゾーンの音楽に合わせて物語が展開するオペレッタ風の作品ですが、このような音楽劇の作り方は、その後の「ファンタジア」の製作に大きく生かされることになります。
  また「花と木」は、劇映画に先駆けて完成した世界初のカラー映画として映画史に記録されることになりました。

 このように見てきますと、ウォルト・ディズニー最初の長編アニメーション「白雪姫」(1937)が、表現力・技術力を磨き上げた上で、満を持して制作された作品であるということがよく分かりますね。


次回「STAGE
-4 モノラルからステレオへ」へ続きます。

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ディズニーの歴史は映画の歴史-② [ディズニー長編アニメ再発見]

P1030925b-3.jpg   ディズニー長編アニメ再発見―4
ディズニーランドはディズニー・アニメーションの究極の到達点
ディズニーの歴史は映画の歴史-② 

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●「ファンタジア」の撮影風景

前回はウォルト・ディズニーのアニメーションが
●STAGE
-1 モノクロ/スタンダード/サイレントに端を発して、
●STAGE
-2 トーキーへ移行したのち、
●STAGE-3 カラーへ、…という流れで映画技術の発達の節目と同時点で、即座にそれを採り入れて進化を遂げてきたことをお話しました。今回はその後の展開についてお話したいと思います。


●STAGE
-4 モノラルからステレオへ
 ディズニー短編アニメでは、ミッキー、ドナルド、グーフィ、プルート、それに小リスのチップとデールを主人公とする映画を「キャラクター路線」とすると、一方で、音楽をベースにした「シリー・シンフォニー・シリーズ(おあそび交響楽)」と呼ぶいわば「ミュージック路線」が並行して制作されていました。

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●「ファンタジア」に組み込まれた、ミッキーの「魔法使いの弟子」

 
こちらのシリーズにはミッキーなどは登場しなかったのですが、ウォルトは両方のシリーズの中間ともいうべき<音楽を基にしたキャラクターアニメ>を発想しました。それがポール・デュカ作曲、ミッキー・マウスの演じる「魔法使いの弟子」だったのですが、その構想をフィラデルフィア交響楽団の指揮者レオポルド・ストコフスキーに打ち明けると話はどんどん大きくなって、アニメーションによるポピュラーコンサートに仕立てようということになり8曲を選曲。短編アニメ8本をまとめた長編映画が完成します。

IMGP6590.JPG●「ファンタジア」の1シーン 1940

 
これがご存知「目で見る音楽・耳で聴く映像」と銘打って
1940年に公開(日本公開1955)された「ファンタジア」なのですが、この作品でウォルトがこだわったのは音響でした。ウォルトは壮大な交響曲で包み込まれるようなコンサート会場の臨場感を映画で実現したかったのです。

 
その頃の映画の音声はスクリーンの後ろの1個のスピーカーから。ウォルトが指示したのは、音声が前後左右からすっぽりと観客を包み込むようなステレオサウンドシステムの開発でした。
そして研究の末に生まれたのが「ファンタサウンド」。映画の録音と音響技術で定評のあるRCAとの共同開発でした。

 
こうしてフィラデルフィア交響楽団の演奏は9本のマイクを使って録音され、完成した「ファンタジア」はニューヨークを皮切りに、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ボストン、クリーブランド、シカゴ、デトロイトの大劇場で特別ロードショーを行いました。

 スクリーンの両サイドと中央の他に場内のサイドおよび後ろにもスピーカーを配して立体音場を作り出す「ファンタサウンド」は、今で言うサラウンドシステムそのものです。ウォルトはステレオ音響の劇映画が生まれるはるか以前に早くもそれを成し遂げているのです。


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●立体音響システム「ファンタサウンド」の一部

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●左/9チャンネルのサウンドフィルム
●右/サラウンド音場空間を創出するために劇場の背後に特設されたリア・スピーカー群


  「ファンタサウンド」による上映は、そのための音響設備が無い劇場ではできません。当初、通常の劇場ではそれまでのようにモノラルで上映されていたと思われますが、ステレオ時代になってからのリバイバル上映では3チャンネルにミックスダウンされたステレオサウンドで公開されました。


●STAGE
-5 スタンダードからワイドへ
 立体音響を使っての「ファンタジア」の公開で世界をアッといわせたウォルト。でも、スクリーンはその時、まだスタンダードのままでした。「現実世界はこんな小さな枠には収まりきれないほど広いんだ」。進取の気性に富むウォルトのことですから、映画の次の技術展開はワイドスクリーンということは予想していたはずでした。
 
ワイドスクリーンでは1952年に公開されたシネラマは別格として、翌1953年の「聖衣」という作品が映画史上初のシネマスコープ作品として記録されています。

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●史上初のシネマスコープ 20世紀フォックス「聖衣」1953

 ディズニーの最初のワイドスクリーン映画は1955年公開のシネマスコープ映画「わんわん物語」ですが、ディズニーでは1本の長編アニメの製作に4年前後掛けていましたから、1951~1952年頃に着手されたはずです。とすると「聖衣」が製作に入ったとほぼ同時期に「わんわん物語」の製作も始まったと見ることができます。ということは、ここでもディズニーは劇映画と同時点でワイドスクリーンの製作を開始しているのです。

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●ディズニー初のシネマスコープ映画「わんわん物語」1955


●STAGE
-6 2Dから究極の3Dへ

 
これまでのディズニー・アニメーションの技術的な変遷を辿ると、最初はセルに書いた平面的な、つまり二次元(2D)の線画でした。登場するキャラクターも平面上を上下・左右に動くだけでした。
 
それがやがて声を持ち、色彩をまとい、実際には二次元なのですが画面奥から手前へ、あるいはその逆、というように擬似的な奥行きを持つ動きをとるようになりました。
 
更には実際の視野に近い横広がりの画面の中で、立体音響(ステレオサウンド)を伴って展開されるまでになりました。

 
そして次の段階は背景やキャラクターの立体描写です。そのために、当時ようやく実用化に到達した三次元のコンピュータ・グラフィックス(3D・CG)がいち早く導入されました。1985年に公開された70ミリの大作「コルドロン」では、3Dの実験的なシーンが見られます。それが円熟期に入ったことを示した作品が1991年の「美女と野獣」でした。

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●ディズニーの70mm映画「コルドロン」1985

 ディズニーはまた1982年に、アニメではありませんが「トロン」というSF作品でCG映画に先鞭をつけています。そして1995年には遂に史上初、CG100%の「トイ・ストーリー」を公開しました。以後CG100%のディズニー映画が目白押しの状況はご承知の通りです。

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●CGと実写を合成したディズニーの「トロン」1982
 
 
この上はもう、画面という制約から抜け出した本物のキャラクターによる動きしか残されていません。そしてそれは、実はとうの昔に実現しているのです。それが1955年7月17日、カリフォルニア、アナハイムのオレンジ畑に誕生した「ディズニーランド」だったのです。

 ディズニーランドではディズニー・アニメーションのキャラクターたちと、3Dどころか生身の身体で抱き合うことができるのです。これぞ究極の3D。これこそウォルト・ディズニーがアニメーションの世界を現実のものとした「魔法の王国」。ウォルト自身が夢を信じて、生涯かけて遂に叶えたリアルな世界だったのです。

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●オープン当時のカリフォルニア/アナハイムの「ディズニーランド」全景 1955


●下は講談社の取材に答えて私がレクチャーしたものを記者がまとめたもの。
 最後の「」内のコメントだけ、与えられた9行分を私が自分で書かせて頂きました。

IMGP6594-2.JPG●1998 講談社・刊
IMGP6608.JPGIMGP6607.JPG
※上の記事は右ページから左ページに続きます。


●このカテゴリー「ディズニー長編アニメ再発見
」は次回より、
  この昭和館・別館(別ブログ)に移ります。
  なお、別館での 第5回からは
こちらからどうぞ。
 


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