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「序」に代えて [昭和ガラクタ箱]

ようやくブログの方向性が見えてきました。
   時計仕掛けの「昭和館」
昨年暮れぎりぎりにブログを開設し、2回目が新年のご挨拶。ここまではブログづくりのテストでした。
何とか行けそうなので、今回からようやく、テーマに沿って進めてみようと思います。
 
 


     
 ブログタイトルの「時計仕掛け」とは、敬愛するスタンリー・キューブリック監督の映画「時計じかけのオレンジ」(1971/S46)にあやかったもの。その意味は、からくりが仕組まれたビックリり箱。何が出てくるか分からないきわものというニュアンスもあるそうです。それに「昭和館」という名前。なんとなく戦後の場末の映画館を想像できませんか。そんな訳で、このブログも奇妙奇天烈な展開になりそうです。
 
 
この写真、実は柱時計の中身です。結婚記念のプレゼントで、40年以上も前のものです。
引越しで処分するように言われたのですが、子供の頃にも同様のものをおもちゃにしていたこともあり、このアナログの精巧なメカニズムがいとおしくて、木箱だけ処分して中身はしまっておいたのです(「もったいない」の昭和スピリット?)。さすがにこれは、子供時代のものよりかなり進化しています。


 時計の全体の形は長方形の縦型で、上が文字盤、下にガラスの窓があって、振り子が見えるというものです。写真のメカは木枠内部の背中にこの状態で取り付けられていて、振り子はこの下に下がります。  
 左のぜんまい(懐かしい言葉)が針を動かす動力源。右のぜんまいが時報を打つための動力源。真ん中の長い軸に長針・短針がはめ込まれ、中央の逆「く」の字の針金と、振り子の動きが連動し、文字盤上部の小窓に日にちと曜日を表示させる仕組みでした。売りは[30日巻き]で、ぜんまいは両方ともちょうど1ヶ月に1回巻けばいいように作られていました。

 この時計が我が家に来た昭和30年代の終わり頃(1960年代半ば)から日本の経済力は飛躍的に伸び、社会のインフラは整い、家庭生活は急速に豊かになりました。けれども、物質的な豊かさと交換するかのように人々は次第に「こころ」を失い、今日のように殺伐とした時代を迎えることになります。
 この変化は、社会構造や生活基盤、あるいは価値観までもがアナログからデジタルへと劇的に転換した流れと重なるようにも思われます。例えば「孤独」や「孤立」は、まさに人間的な「継続性」を持たない「断絶した形」といえるでしょう。と言うと、デジタル化が社会をおかしくしたように聞こえるかもしれませんが、とんでもない。このブログのように、デジタルが可能にしたものは数知れず。要はいかに「こころ」を込めるか、と言うことでしょうか。

 まあ、硬いことはこの位にして、では「昭和」と「映像」がどう結びつくのか。
  それは、それまでの「文字」の時代から「映像」の時代へと大きな変化があったこと。
 そしてもうひとつ、昭和は映画がもっとも華やかに輝いていた時代であるということ。
 特に昭和の後半は、レンズや写真・現像技術、照明や音響技術、スタジオのシステムなど、いろいろな分野の先端テクノロジーを集大成する形で映像技術が著しく発達した時代であり、その底流にいわゆるアナログからデジタルへの急激な転換がある訳で、デジタル一色になりつつある今日の映像技術、更には将来の映像技術も、その基盤はまさに昭和にあったと考えていいのではないでしょうか。 

 このような観点から、「昭和」あるいは「映像」。時に「昭和と映像」。この二つのキーワードを基本テーマに展開して行こうと思います。

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さても懐かし・昭和オッペケペ節 [昭和ガラクタ箱]

 

昭和終焉から早くも20年  

               さても懐かし「昭和オッペケペ節」

  昨年11月より巷では、三谷幸喜作・演出、ユースケ・サンタマリア、常盤貴子主演のお芝居「恐れを知らぬ川上音二郎一座」が大評判だそうです。川上音二郎はまさに「映画誕生」の端境(はざかい)期に活躍した役者です。1911年(明治44年)舞台上で死去。健在ならば必ずや日本映画黎明期の大スターとして活躍した人材だと思います。 その音二郎さんにあやかって、戦後(古い言葉になりました)昭和風情のあれこれを読み込んだ「昭和オッペケペ節」を作りました。これで一挙に昭和のおさらい。浅草の芝居小屋にでも出演なさったおつもりで、リズミカルな口調でお楽しみ頂けたら幸いです

【前口上】
  さあて、お立会いの皆々様方。平成の御世も晴れて20年を数え、目出度き所存にござりまする。ここもとお耳に供しまするは「昭和オッペケペ節」。「オッペケペ節」と申さば、「権利幸福きらいなひとに、自由湯(自由党)をば飲ませたい。オッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー」との出だし文句で明治の中ごろに大流行した自由民権運動の壮士劇、知る人ぞ知る川上音二郎の名調子。

  余談ながら川上音二郎。この御仁は、愛妻の川上貞奴とともに、新派劇の創始者と謳われる。今を去ること108年の1900年、花のパリーは万国博で演じた芝居の演目のひとつにこの「オッペケペ節」。数年前、その時録音されたとされる蝋管レコードが発見され、復刻版のCDも売り出されたとのこと。高価なために入手を断念。本家本元の口調を聞いた訳ではないけれど、そこは物書きのお遊び。「オッペケペ節」を見習って、戦後昭和のあれこれを口上口調で並べ立ててみたのがこの「昭和オッペケペ節」。子供の遊びはシリトリで並べてみるなどの凝りよう。たまに字余りがあるのもまたご愛嬌。ご用とお急ぎでないお方には、しばし若き日の思い出のよすがにと供しますれば、なにとぞご笑覧の程、請い願い上げ奉りまする~~~~。

【本調子】
あ、オッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー
 時は昭和の20年(1945)から35年(1960)頃までの物語。当時、巷に流行るもの。人間天皇ご巡幸。ビキニで早速原爆実験。アメ横、闇市、放出品。洋モク、アンパン、パンパンに、GI,MP,DDT。買い出し列車、新憲法。男女共学、民主主義。停電、ろうそく、ホヤ磨き。ロマンスシートにニュールック。ニコヨン、ヒロポン、チラリズム。日本脳炎、パンビタン。アルサロ、アメション、アナタハン。トロリーバスにワンマンカー。湯川博士にノーべル賞。朝鮮戦争勃発し、特需景気が本格化。貧乏人は麦を食え。LPレコード、スチュワデス。人造米に黄変米。ヤンキー・ゴーホーム、血のメーデー。解散招いた「バカヤロー」。ミス・ユニバースは八頭身。ジャズ全盛に、真知子巻き。街頭テレビ力道山。自衛隊発足、洞爺丸。水爆実験、オネストジョン。砂川闘争、原水協。もはや戦後ではないと、三種の神器がものを言う。

それオッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー
  神武景気にあおられて、ボディビルからマネービル。太陽族に愚連隊、シスターボーイにゲイボーイ。ロックンロールにロカビリー。チャタレイ裁判有罪で、ナベ底景気のその中で、日米安保は新時代。売春防止、全学連。神風タクシー、団地族。グラマーガール、デラックス。サックドレスにフラフープ。トランジスター・グラマーの、ファニーフェイスが大もてに。ミッチーブームに沸き立って、皇太子様ご成婚。安保闘争最悪で、東京スモッグ事始め。所得倍増約束し、「私は嘘は申しません」。JFKは初当選。人工衛星ヴォストーク、「地球は青い」とガガーリン。米ソの対立背景に、字宙時代の幕が開く。

さてオッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー
 
その間こどもの遊びでは、べーごま、ままごと、通りゃんせ。戦争ごっこ、子守歌。竹馬、漫画、紙芝居。石けり、リリアン、あんず飴。おはじき、おてだま、折り紙に、あやとり、影絵、竹がえし。凧あげ、なわとび、かくれんぼ。にらめっこ、輪まわし、指相撲。めんこ、ビー玉、日光写真。はさみ将棋に軍人将棋。ぬり絵、千代紙、着せ替え人形。草笛、写し絵、竹とんぼ。けん玉、べーごま、竹鉄砲。百連発にコルク銃。ブリキのおもちゃにセルロイド。ぬり絵、ろう石、絵書き歌。電軍ごっこに学校ごっご。だるまさんがころんだ、おしくらまんじゅう。スキー、スケート、雪合戦。羽根つき、すごろく、かるたとり。福が笑っておめでとう。
 


そりゃオッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー
 「みかんの花咲く丘」には「青い鳥」。「青い目の人形」の足には「赤い靴」。「夏の思い出」は「かもめの水兵さん」。「ちんから峠」は「里の秋」。「鞠と殿様」お国入り、「おさるのかごや」でホイサッサ。「あの町この町」「歌の町」。「赤い帽子白い帽子」の「仲良し小道」。「とんがり帽子」の「あの子はだあれ」。それは「かわいい魚屋さん」。「叱られて」「京人形」の見る夢は、「雨降りお月さん」の「花かげ」の、「夢のお馬車」の「花嫁人形」。「月の砂漠」の「兎のダンス」、「森の小人」が「みてござる」。

 <演歌>は未だ現れず、その名もゆかし歌謡曲。「りんごの唄」に始まって、「鐘の鳴る丘」「東京ブギ」。「東京の屋根の下」、「憧れのハワイ航路」を想う時、あまりの遠さに気がついて、「悲しき口笛」「落葉しぐれ」。それじゃああんまり悲しいと、「三味線ブギウギ」「トンコ節」。「東京キッド」はあきらめず、「白い花の咲く頃」にゃ、「サンフランシスコのチャイナタウン」。「あこがれの郵便馬車」で「青い山脈」越えて行こう。

はてオッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー
 テレビ、ビデオは先のこと。ラジオ・映画が主役の座。「のど自慢」。「三つの歌」。「ラジオ歌謡」に「冗談音楽」。「二十の扉」に「話の泉」。抜天級長「とんち教室」。三木鶏郎は「日曜娯楽版」。高橋圭三は「私は誰でしょう」。スポーツ中継は志村アナ。野球は小西得郎さん。みんなが待ってるドラマでは、「向う三軒両隣り」。「三太」と張り合う「さくらんぼ大将」。「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」。「えり子とともに」「君の名は」。美空ひばりは「りんご園の少女」。中村メイ子は「お姉さんといっしょ」。そして始まる「新諸国」。「白鳥」「笛吹き」「紅孔雀」。「やん坊、にん坊、とん坊」に、「お父さんはお人好し」。ぼ、ぼ、ぼくらは「少年探偵団」。ちょこざいな小僧は「赤胴鈴之助」。ここは「一丁目一番地」。三人娘のはしりを問えば、ひばりとチエミといづみなり。

しからば日本映画は、と問えば、「丹下左膳」は傳次郎。「忠臣蔵」は龍之介。「七つの顔」は千恵蔵で、「退屈男」は右太衛門。「銭形平次」は長谷川一夫、「鞍馬天狗」は寛寿郎。「母もの映画」は三益の愛子。子役で活躍、ひばりとトモ子。大ベテランは原節子。田中絹代に山田の五十鈴。水谷八重子に月丘夢路。高峰三枝子に高峰秀子。山本富士子に京マチ子。気鋭は中村錦之介。橋蔵、雷蔵、千代之介。三船敏郎は黒沢映画。「羅生門」をば引っ下げて、国際舞台に登場す。日活、大映、東宝と、松竹、東映の5社にして、日本映画は花ざかり。

こりゃオッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー

娯楽の王者は外国映画。豪華絢燗カラーにて、「白雪姫」はデーズニー(注・ディズニーでは語呂が合いません)。一番人気は「ターザン」で、その名も高きワイズミュラー。「凸凹コンビ」のアボットと、コステロ派手にズッコケる。「腰抜けシリーズ」ボブ・ホープ。「底抜けコンビ」はマーチン、ルイス。秘境の舞台はアフリカ、アマゾン。活劇舞台はアメリカ西部。歴史映画は旧約聖書。アクション映画はギャングスター。スリラー映画はヒチコック。

姉御女優を尋ねたら、エヴァにキャサリン、アリダ・ヴァリ。グラマー女優はイタリア勢。ロロブリジーダにマンガーノ。ソフィア・ローレン、エクバーク。マザコンごころをくすぐるは、ルシール・ボールにドリスディ。セクシー女優を尋ねたら、マルチーヌ・キャロルにアルヌール。すこし下ればマリリン・モンロー。ドモンジョ、バルドー、カルディナーレ。可憐なスターはオードリー。ナタリー・ウッドにマルティネリ。マリナ・ヴラディ、マリア・シェル。女性映画は文芸も、恋愛映画も目白押し。

中でも頼れる男性は、ゲーリー・クーパー、ジョン・ウエイン。グレゴリー・ペックにユル・ブリナー。ハドスン、ヘストン、スチュアート。反面危険な男たち。ゲーブル、ブランド、パーキンス。可愛いハンサムボーイでは、ジェームス・ディーンを筆頭に、アラン・ドロンかべルモンド。はたまたセクシーなプレスリー。こうして早くも60余年。バブルの傷を引きずって、末は奈落か自堕落か。戦後生まれも過半数。64年を数えたる、ああ昭和も遠くなりにけり
あ、オッペケペー、オッペケペー、オッペケペッポー・ペッポッポー

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昭和世代 いろいろ [昭和ガラクタ箱]

 

昭和世代  いろいろ 


 昭和は1926年に始まって1989年までの64年間(実際は元年と昭和64年は1週間ずつしかなかったため、実質62年と2週間)。神武天皇(出ました!)以来、歴代でもっとも長かった時代です。その間、大きな戦争があり、戦争をはさんで社会背景や世の中の規範、学校や家庭における教育や生活環境はめまぐるしく変わりました。

 従って、物の見方・考え方、いわゆる価値観は、生まれた年、育った年代によって大きく異なり、「昭和世代」などと十羽ひと絡げで語ることは難しいのです。そのため、便宜上「戦前派」「戦中派」「戦後派」と三つの団塊で語られてきました。
  といっても明確な線など引きようもなく、言ってみればこの三派の意識はそれぞれが断絶しているデジタル形態ではなく、相互にディゾルブし合うアナログ形態だという気がします。このあたりに幅と奥行きを持つ昭和世代の本質があるように思われます。

 で、自分はどうかと言うと、生まれは昭和16年(1941)の早生まれ。12月には太平洋戦争勃発です。記憶が芽生えたのは幸い終戦の年(1945)あたりから。身内に戦死者も無く、大きな被害にも合わずに済んだのは幸いでしたが、空襲の記憶も明確に持ち、ひもじさも、継ぎ当てズボンも十分に経験しています。

  小学校入学前の読み物は、「講談社の絵本」と兄姉たちが学んだ戦前・戦中の教科書。だから良くも悪くも当時の修身教育や倫理観といったものをかなり受け継いでいるのですが、小学校1年生からは民主化のための学制改革第一期生で、国語はひらがなの「おはなをかざる、みんないいこ」。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」も知っていますが、それではありません。折角カタカナを全部覚えたのに、ひらがなからの再出発でした。そんな訳で、実は神武天皇のことは教わっていない世代なのです。

 つまり、戦前派でないことははっきりしているのですが、戦中派と戦後派の中間という極めて座りの悪い位置におります。同年代の方はどうお考えか分かりませんが、少なくとも自分の人生は、この中途半端さをずっと引きずってきたような気がしきりにするのです。それはある意味で「両方に逃げ道を持っているうしろめたさ」といったものかもしれない。
 けれども気持ちは一途で、イソップ物語のコウモリのように、鳥か動物か、どちらが有利かを見計らってその側に付く、というような器用なことは出来ないタイプであることは確かです。

 

 


「少年倶楽部」から「少年クラブ」へ [昭和ガラクタ箱]

昭和ガラクタ箱

   「少年倶楽部」から「少年クラブ」へ

 「幼年」「少年」「少女」の名を冠し、戦前・戦中・戦後を通じて当時の子供たちの教育や娯楽に大きな影響をもたらした講談社の雑誌は、戦中までは「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少女倶楽部」と表記されていました。それが、戦後新しく始まった民主教育に合わせて、「倶楽部」が「クラブ」に変わりました。  文字遣いも戦前・戦中は「今日」を「けふ」と表記し、「お嬢さま/おぢやうさま」「微笑/びせう」「教育/けういく」「両腕/りやううで」という具合だったものが、今日の新仮名遣いになりました。
ところが家では、私が「活動(かつどう)」と発音すると、ひと回り以上年上の予科練帰りの長兄は、「かつどうだって。気取って」と茶化したものです。長兄に言わせれば、「くゎつどう」という発音以外は耳障りだったのでしょう。また、田舎なのにどこか都会っぽい感じがするこの発音に違和感を感じたのかもしれません。「映画」も「えいが」ではなくて「えいぐゎ」なのでした。

今、手元にある古書の「少年倶楽部」を紐解いてみると、兄たちが愛読した<血沸き肉躍る冒険譚>や時代活劇、明智小五郎と金田一耕助に代表される探偵小説などでは、その表現が大時代なことに驚かされます。例えば、山中峯太郎の熱血小説「敵中横断(わうだん)三百里」の語り口は「絶大の武勲も此処に空しく埋もれて、遂に五勇士は…」と講談調で大変調子のいいもので、こうした口調が一段と少年たちの血をたぎらせたのでしょう。

一方の「幼年倶楽部」「少女倶楽部」では、「クラブ」に変わってからも「おとうさま、おかあさま」「おっしゃいました」「なさいました」という言葉づかいや、「おいでなさい」「お入りなさい」「ご覧なさい」というように、とても丁寧な言い回しで書かれています。これはこどもが親に対する話し方であり、親がこどもに接する際の話し方です。そのお手本として書かれているのでしょうが、当時は親子間や学校でも日常的に、「目上を敬う」「弱いものをいたわる」「相手を思いやる」という感情がしっかり息づいていたと思います。こうした社会認識の元に、父親からも母親からも本当に慈しまれて育てられてきたことに熱い郷愁を覚えます。「目上・目下」とか「男の子は男らしく、女の子は女らしく」などという言い方はとっくの昔に死語になり、今では差別用語だそうです。いやはや。では「父親の役割は? 母親の役割は?」。は?、平等ですか。でも平等って、果たして真っ二つに割るってことだけでいいのかな。

 
「少年倶楽部」連載、山中峯太郎「敵中横断三百里」完結 1930年(S5)9月号 


「ニュー・シネマ・パラダイス」の中の私 [昭和ガラクタ箱]

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 「ニュー・シネマ・パラダイス」の中の私
 
たいていの映画好きは映画界を舞台にした映画が大好きです。あの魅力的な映画というものがどのようにして生まれるのかという興味、そしてそれに関わる人たちはどんな人たちかといったような興味からです。

  ちょっと思い出しただけでも、古くは、落ちぶれた大女優と売れないシナリオライターの関係が破局に向かって突き進んでいくパラマウント映画の傑作「サンセット大通り」。オードリー・ヘプバーンが最高にチャーミングなタイピストを演じた「パリで一緒に」。映画製作の現場で人間関係に苦慮する監督を描いた「フェリーニの8 1/2」。映画撮影の舞台裏を細かく見せてくれた「アメリカの夜」。映画の中で恋人役を演じる俳優同士が現実の場では行き違う「フランス軍中尉の女」などが頭に浮かびます。これらの映画はいわゆる「内幕物」と呼ばれるジャンルで、映画人が自分たちの世界を描く訳ですからお手の物。どれもみな、ちがう世界を覗き見たいという観客の興味を満足させてくれました。

  こうした内幕物以外にも、例えば「グッドモーニング・バビロン!」のように、映画のセットを作る大工の兄弟が主人公というような映画がありますが、そんな業界の裏方に焦点を当てた映画の1本が、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1998)です。

  舞台もハリウッドとは程遠い、イタリアはシチリア島の小さな町にある古い映画館。そこで働く映写技師の初老の男アルフレードと、母一人子一人で暮らすトトという少年の物語ですが、興味深いのは、普段は見られない映写室が重要な場所になっていることです。窓から入ってくる砂ぼこりに年中まぶされているような映写室の板壁には、「カサブランカ」のポスターが薄汚れたまま貼ってあります。マイケル・カーティス監督の「カサブランカ」が製作されたのは戦時中の1942年ですから、それが古ぼけていることで、時代は第二次大戦終結直後だということが分かります。この映画はこのように映画館の中で上映される映画と映画館に張ってあるポスターを見るだけでどのくらいの年数が過ぎたのかが分かるように細かい考証がなされています。それが映画好きの心をくすぐるのですが、それよりも私は、まだ小学校にも上がっていない少年トトの行動にすっかり目を奪われていました。

  トトは大好きなアルフレードの居る映写室に入り浸り、フィルムの切れ端をもらってはフィルム缶に大事に保存しています。この町の謹厳な牧師は映画の検閲係で、キスシーンは風紀上問題ありとしてすべてアルフレードにカットさせているのですが、トトはそのフィルムが欲しくてたまりません。アルフレードに頼むのですが、「これはお前にやる。でも、今はだめだ」と断られてしまいます。家に帰ったトトは、フィルム缶に溜め込んだフィルムの切れ端を見ながら一人で遊びます。その姿が自分の子供の頃の姿にぴったり重なったのです。フィルムを欲しがるトトはまるで自分自身ではないか。イタリアにも同じ時代に同じ年頃で、自分と同じ気持ちを持った少年がいたのだ、という驚き。それがこの作品の感動を更に大きく、深いものにしてくれました。

  まだ小学校に上がる前、私は村の映画会ではいつも映写機の脇に居ました。当時はフィルムを使い回すので痛んでいて、上映中に良く切れました。映写技師がフィルムをつなぐ時には必ず数コマの切れ端が出るのです。それを手に入れるためでした。「ニューシネマ」の映写室でアルフレードが、はさみを使わずに手首を翻すだけで鮮やかにフィルムを切断する仕草や、切れたフィルムをつなぐとき、膜面をペロリと舐める仕草も見たことがありました。なぜそんなにフィルムに魅了されたのか。私にとって映画のフィルムは単なる樹脂の帯ではなく、カメラに写し撮られた時間と空間そのものだったのです。人の動きや声、風のそよぎや物音が封じ込められている魔法のテープだったのです。私が思うには、トトはキスシーンが欲しかった訳ではなく、フィルムそのものに魅了されていたはずなのです。

  ところで、アルフレードに切り取られたキスシーンは、作劇上それがどうなったかをどこかで明かさなければなりません。そしてそれはテーマを凝縮した形で提示されなければなりません。…としたらそれはラストシーン以外には考えられません。私はアルフレードが「これはお前にやる。でも、今はだめだ」とトトに言った時に、ラストシーンを監督がどう見せようとするかが読めました。<今ではない、ラストだ。…フィルムはそのとき必ず断片ではなく、まとめて「上映」されるはずだ。なぜなら映画は上映されて初めて完結するものだから。そしてその意味と感動を深めるために、アルフレードはその時にはもう居ないだろう>。トルナトーレ監督はおそらくこのラストシーンのアイディアが生まれた時、「この作品はできた!」と膝をたたいたに違いありません。もっと言えば、このラストシーンの発想からすべてのストーリーが組み立てられたとさえ推測できそうです。さて問題は、そこまでをどのように展開していくのか。そこが監督の腕の見せ所です。

  結果はご存知の通り。会社の試写室のスクリーンに次々と目まぐるしく映し出されるキスシーンの数々。それを見つめる今は映画監督となっているトトの姿。アルフレードがトトに遺した、キスシーンだけを50近くも集めてつないだ「欧米映画接吻特集」は、アバンギャルド映画顔負けの逸品として、エンニオ・モリコーネの哀愁を帯びた「愛のテーマ」の高まりとともに、見事な映画賛歌を謳い上げたのでした。この映画はトルナトーレ監督の自伝映画、いわば自分史映画だと思いますが、映画をひたすら愛し続けて今日に至るトルナトーレ監督の面目躍如たるものがありました。

■蛇足
 この作品、最初、映画館では124分のバージョンで上映されていたのですが、かなり前から完全版と称するほぼ3時間のノーカット版がDVD販売され、テレビでも放送されています。大きく違うところは、トトがアルフレードの葬式を済ませた後、すでに結婚している初恋の人(「禁じられた遊び」の名子役だったブリジット・フォッセーが演じています)と会い、お互い永年の思いを遂げるというシーンが、2時間バージョンではそっくり外されていることです。追想を描き切るべき流れに現実が入り込むそのシーンは個人的には不要だと思うので劇場公開版の方が好きなのですが、監督としては折角ブリジット・フォッセーを撮っておきながら上映時間の都合でカットされていたことは穏やかではなかったことでしょう。 

●映画界を舞台にした映画の記憶
「サンセット大通り」(1950)ビリー・ワイルダー監督
「パリで一緒に」(1963)リチャード・クワイン監督
「フェリーニの8 1/2」(1963)フェデリコ・フェリーニ監督
「アメリカの夜」(1972)フランソワ・トリュフォー監督
「サイレント・ムービー」(1976)メル・ブルックス監督
「ニッケル・オデオン」(1976)
「フランス軍中尉の女」(
1981)カレル・ライス監督
「蒲田行進曲」(1982)深作欣二監督
「キネマの天地」(1986)山田洋次監督
「グッドモーニング・バビロン!」(1987)パオロ・タビアーニ監督
「ロジャー・ラビット」(1988)ロバート・ゼメキス監督
「ザ・プレイヤー」(1992)ロバート・アルトマン監督
「エド・ウッド」(1994)
「ニュー・シネマ・パラダイス」(1998)ジュゼッペ・トルナトーレ監督
「アビエーター」(2004)マーチン・スコセッシ監督

この他にハリウッド映画界を牛耳る大プロデューサーをモデルにした「ラスト・タイクーン」という映画もありました。

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